黒瀬 珂瀾


冷めてなほ唇(くち)に張りつく乳の膜おのがことばにおのれ欺き

さいかち真『裸の日曜日』

 

牛乳は冷たいまま飲む派? それとも温めたのが好み? 僕は冷たいのを一気に飲むのが好きだが、 就眠前の一杯のホットミルクにも心が和む。ホットミルクの表面にはうすい膜が張り、それを舌で絡め取ったりする。牛乳の表面から水分が蒸発して、乳脂肪分とタンパク質が凝固し合うのだが、これをラムスデン現象と言うらしい。まあ、化学の話はさておき。

 

しかし、ホットミルクがおいしいのも温かな間。一度温めておきながら、冷めてしまったミルクは、 なんだかさびしい。味も台無しになった気がする。しかし、一度凝固した膜は、冷たくなっても残る 。そして、冷たい膜というものは、妙な気持ち悪さを感じさせる。

 

掲出歌、温めておきながら飲み損ねたミルクを呷る場面。飲む寸前に急に用事が出来たのか、それとも、本やテレビに夢中になってうっかり忘れてしまったか。私たちはこうしていつも、温かいミルク を飲み損ねる。些細なことで大切なことを後回しにする。言葉を弄して己を誤魔化し、正当化し、何も問題が無いかのように、冷めたミルクを飲み干す。そして、冷めてなお残る膜は唇に貼りつく。本当の言葉を薄皮で包み隠し、己を欺くように。

 

牛乳のことを「乳」と言い表すのも巧みで、「唇(くち)」と「乳」の「chi」音が響きあい、膜が張りついた唇のうっとおしさが表現されているようだ。冷めて美味しくなくなっても、なお残される膜。案外、人の言葉はそういった、旨味の失せた膜で包まれることで、人や己さえも欺く、白く淀んだ彩りをまとうのかもしれない。やはり、ホットミルクはすぐに楽しむことにして、唇には温かい膜を貼りつけたいものだけど、さて。