黒瀬 珂瀾


聾児らの劇「幸福」はいま終へて静かなる拍手ながくながくつづく

橋本喜典『冬の旅』

 

単純な一首に見える。だが、なぜかこの歌に長く惹きつけられてきた。そもそも、この歌には不明な事が多い。耳の聞こえない子どもたちと作者の関係は? 「幸福」という劇の内容は? どれくらいの人が、どこで見ているのか? 聾児らは何歳ぐらいなのか? それらのことは一首だけでは解らない。むしろ、具体的なことは描かずにおこうとする意志が見える。

 

 「幸福」という抽象的だが直截的な劇のタイトル。耳が聞こえない子供たちに、拍手の響きを伝えようとする観客の姿。そういった場面の巧みな切り取り方は当然として、それ以上のものがこの歌にはある。例えば下句の韻律。 「静かなる/拍手/ながく/ながく/つづく」。定型から微妙にはみ出た5・3・3・3・3のリズム。「静かなる」で音に余裕を持たせ、「拍手」でふっと息を切り、そのまま3音を繰り返す。この不思議な音のたゆたい。拍手が長く続くことが、意味だけでなく、リズムからも納得される。小刻みな3音の連続は、拍手の振動が身体にまで響いてゆく段階を実感させる。それが音の聞こえない子供たちへの拍手であると思うとき、この一首にあふれる、温かな人々の心に気づかされる。

 

 この韻律は意図的に操作できるものでもないだろう。作者の歌人としての直感、そして、人としてのあり方が生んだように思う。積極的にリズムを創作したというより、「静かに拍手ながく続けり」と定型に納めて済ますことができなかった、というのが実態ではないか。そして、この一首の韻律を実感するためには、読者側も前提として定型を意識しなければならない。この歌を他言語に翻訳するにはどうすればいいのだろう、と、いろいろ思いは尽きない。