敗け方の下手なわたしは点になるまでのひばりを又聞いている

田井安曇(我妻泰)『我妻泰歌集』

 

敗け方に上手い下手があるのだろうか。敗け上手というなら、そもそも敗けないような気もするが、ともかく作者は自分のことを敗け下手だと思っている。これまで様々に敗け続け、そのたびに手痛い目に遭ってきたからだろう。この次は上手くやろう、そう思っても、「又」敗けてしまった。一人で空の下にたたずみ、遠くに飛び去ってゆくひばりの声を聞いている。

 

何に敗けたのか。六十年安保、七十年安保に深く関わった作者だから、ある種の政治的闘争を読者は思うかもしれない。職場の組合活動かもしれない。そう読めばそう読んだで、時代の空気を感じとることもできる。それでも「点になるまでのひばり」という、何か優しげで寂しげな描写が、政治詠と断言することを躊躇わせる。この「敗け」は、もしかしたら、〈自分に敗ける〉ことを指しているんじゃないだろうか。上句に見える内省の視点、下句に見える孤立してゆく心。それらがこの一首を、作者の心象世界を深く覗きこんだ歌のように思わせる。

 

  軍旅われを発ちつづけ発ちつづけつつ還らず難きかな勝つことは

 

作者は勝てない。むしろ、宿命として勝ちえない道を選び取ったかのようだ。私の中から、軍隊が出発し続け、そして還ってこない。あの時のひばりも、私の中から飛び立ち、空の点になっていった。私は、私を飛び立ち続けるものを追い、そして追いつけない。政治を生きることは作者にとって、自分の心を見つめることでもあったのかもしれない。だからこれらの歌は、社会詠であるよりもむしろ、失われた情熱を求めるロマンティックな歌のように思う。

 

 

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