黒瀬 珂瀾


うなだれて洗ひつづけるこの世なる薄明かりなるひとつのあたま

梶原さい子『あふむけ』

 

風呂で髪をを洗う時、誰もが前かがみになる。それを作者は、うなだれているようだと感じた。湯を浴びつつ、視界をふさがれながら、頭をかきむしる。確かにまるで、苦悩の果ての姿に思える。つまり私たちは日々、知らず知らずのうちに頭を垂れ、苦しみを表現している。

 

二句、三句、四句がすべて「る」で終えられるが、その単調な繰り返しが、一人で淡々と髪を洗い続ける様子を思わせる。「この世なる」はすぐ次の「薄明かり」にもかかっているだろうが、「この世なるあたま」「薄明かりなるあたま」と、「あたま」の性質が並列されているようにも感じる。この世の中に存在する宿命を背負った頭。そして、湯気にくもる中でほの明るむ頭は、まるで世界から浮き上がっているように見える。この薄明かりは、寂しさの象徴だろうか。

 

  誰もみな背中を向けて洗ひたりひとりづつの秘密抱へるからだを

 

一人で身体を洗う時、人は無防備な裸となり、他者の視線に目を閉ざし、時にうなだれる。それはまるで、この世での秘密を、誰にも伝えずに抱え込むかのようだという。だから人の頭は、孤立した「薄明かり」の球となり、「この世」で一つ一つぼんやりと浮かび上がるのだろう。この歌集には下記のように、乳房の病を詠んだ歌が多く納められている。髪を洗う〈自分〉を眺める視線を生んだのは、この病だったのかもしれない。

 

  乳房(ちちぶさ)は沼 行き場なき黄の乳がしづかにしづかにあふれてきたり

  不自然なかたちであるとわかりつつ身籠らぬのに乳したたらす