黒瀬 珂瀾


丈三尺伸びし黄菊や管(くだ)菊やビンラディン生きて逃がれよと思ふ

馬場あき子『九花』

黄菊の大輪、管菊の大輪。それらが堂々と咲き誇る様子は、実にあでやかなものだ。菊花展に出かけたのか、どこかの公園か庭先で偶然見かけたのかは分からない。作者の視線はただ、華麗に開く菊花だけに注がれている。丈三尺というから、だいたい1メートル近い高さに咲いているのだろう。細い茎に支えられて、地上から高く浮かぶように咲く菊花の大輪。その花を見ているうとき、「ビンラディン生きて逃がれよ」という思いがよぎった。

思えば菊は悲しい。人に見られるために手を加えられ続け、鮮やかな色彩や管状の花弁などを持つようになった。つまりは見世物としての花であり、自然そのままの姿から見れば、一種の畸形なのかもしれない。そうした宿命を背負い、他者の視線を集めてしまう者が、この世には時折現れる。作者にとってビン・ラーディンはそういう人物なのだろう。

一点、注意せねばならない。この歌は、ビン・ラーディンに対して「生きて逃れよ!」と呼びかける応援歌ではない。「ビンラディン生きて逃がれよ」とふと思ってしまう《自分》を冷徹に観察する歌だ。結句に添えられる「思ふ」の一言がそれを表している。「嗚呼ビンラディン生きて逃がれよ」と「ビンラディン生きて逃がれよと思ふ」では、歌意は天と地ほども違う。

今日はここまでにしたい。だが、 ビン・ラーディンという人物が、なぜあのような運命を背負い、あのような運命を世界に背負わせたのか。それを思う時、この歌が立ち現れ、花だけが中空に浮かぶ。その晩、原稿のためたまたま夜中まで起きていたら、BBCが速報を流しだした。“Justice has been done.”というオバマの声を聞いたのは、午前四時近かった。

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