東直子『青卵』(2001年)
手と手を触れあう。
友好のしるしとしての握手ではなく、ただひとりのひとと愛を交わす行為。
愛するということは、たんじゅんに、体感的にいえば、そのひとに触れて知りたくなるということだとおもう。
「指」の感触を確かめているという官能的で細かい動作の描写に、うっとりした。
愛を伝えあうには、「指」だけでじゅうぶんなのだ。
そして下の句に表わされる「時代錯誤の愛」には、つよくひかれ、共感する。
愛をストレートに表現すると、どうしようもなく恰好わるくなるのはなぜなんだろう。
ポール・エリュアールが
<おお このわたしが 幸福なることを望んだ あなたよ>
というとき、そのまっすぐな言葉のなかの、時間と切りはなされた輝ける真空に、すこし息苦しくなったりもする。
愛すれば愛するほど、愛されれば愛されるほど、
苦しく情けなくなったり、傷つけあったりする。
結句の「愛を着ている」のずれた言い回しが、このうたを素朴で強いものにしている。
愛は、時代錯誤で、ずれたものほどいい。