澤村 斉美


夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき

寺山修司『空には本』(1958年)

10代後半ぐらいの少年の、夏の放浪を想像した。一人、気持ちの向くままにふらりと行く先を決め、バスに揺られていく。放浪のはじめは緊張もあったのだろうが、それもほぐれて車窓を眺めている感じだ。旅の時間の流れ方、バスの速度や揺れに体の感覚がなじんでいる様子を下句で言っているのだろう。「夏帽のへこみやすきを膝にのせて」がとてもいい。少年の佇まいをさりげなく描いている。布の帽子だろうか。立体的な形はあるけれども、やわらかくへこみやすい。不定形な印象が、若い日々の一回きりの夏のせつなさとどこかでつながる。

 
寺山がこの歌で描き出したような青春の情景は、その後の現代短歌にもさまざまに受容され受け継がれている。

  きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり

  永田和宏『メビウスの地平』(1975年)

  思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ

  俵万智『サラダ記念日』(1987年)

  
直接の影響関係があるのかどうかわからないが、寺山の描いた青春の情景は歌人のあこがれとなり、さまざまに変奏されている。永田和宏の歌は、「きみに逢う以前のぼく」、つまり恋を知る前の無垢な少年としての「ぼく」を求めて、一人でバスに乗り、海へ向かう。少年とバスの描き出す風景は、寺山の掲出歌と美しく重なるのである。俵万智の「麦わら帽子のへこみ」は、意識的にであれ無意識的にであれ、寺山の「夏帽のへこみやすき」からきているのではないか。俵は、帽子のへこみを「夏の思い出」の象徴として解釈している。