したたれる蒼さするどさ受けながら身はつくねんと秋空に向く

入野早代子『散華』(1985年)

台風が去り、今日は鮮やかな青空が広がった。この台風でやっと夏が終わると思いながら長い雨に耐えていたが、晴れてみれば、あまりのさわやかさに拍子抜けしてしまう。さびしいのとも違う、虚脱感の中でぼんやりと秋のはじめを眺めている。

 

さて、入野早代子の『散華』に表れる秋は、さわやか、虚脱感からは遠い。どこか命の激しさを思わせて心をつかむのである。掲出歌は、秋空を「したたれる蒼さ」「するどさ」と過剰なまでに形容し、その青空を受けとめる「われ」の身が「つくねんと」あるという。青空に対峙する「身」の孤独が際立つ一首だ。鮮やかな青空を憎む気持ちさえ感じられる。同じ歌集から次の2首を。

 

  たわわなる実りの季を思はせて芽ぶく一樹を憎みて過ぎぬ

  秋の陽の影と光をわけあひて熟るるほかなきぶだう垂れをり

 

1首目は、木々の芽吹きのころを詠うが、いまはあおく芽吹いているものが、やがては「たわわなる実りの季」、つまり秋を迎えることを想像し「憎む」という。「実りの季」を憎むとはどういうことだろうか。2首目の「ぶだう」の歌を読むと、より分かる気がする。秋の陽のなかで、影の部分と光の部分を含んで葡萄が実っている景色を詠う。「熟るるほかなき」に心情が表れていよう。自然の力のままに熟すほかない葡萄に、諦念を見出しているのではないか。葡萄の景色は作者の心にしみこみ、自らの生についての直観を得ている。「憎む」とは、自然や時間といった、人が抗いがたい力に圧倒されながら、それを受け入れて生きようとする、その際の感情の発露なのではないだろうか。

 

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