大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも

北原白秋『雲母集』(1915年)

誰にでもどうにも好きな歌があると思うが、私にとっては白秋のこの歌がどうにも好きな歌の一つである。なぜか、今日のように晴れて明るい日に思い出す。空から手が現れるような気にさせられ、その感覚が妙にリアルなのである。「シュールレアリスム」的という読みを目にするが、人の手が卵をつかむところを、手をクローズアップして詠っているのだろう。「大きなる」「あらはれ」の2語が、手の見え方を異様にしている。「昼深し」については赤彦の発明語とする説があるが、どんな時間の感覚なのだろうか。昼の空気感と手が現れる空間の深さを感じさせて不思議な言葉だ。

 

  大きなる足が地面(ぢべた)を踏みつけゆく力あふるる人間の足が

 

同じ歌集にあるこの歌の「大きなる足」はまだ現実的だ。ここでの「大きなる」は、地面を踏みつけて行く人間の足の力強さを誇張したものだろう。「大きなる手」の歌ほどのシュールさはない。

 

  大いなる手つと来て茨(いばら)の実を摘(つ)めり  我鬼(1918年)

 

これは芥川龍之介の俳句。制作年は『雲母集』より後で、ひょっとして白秋の「大きなる手」の歌に触発されたのではないか、と思いたくなる。あるいは、当時「大きなる手」のイメージが、小説や絵など他ジャンルで出てきて取り入れられたという可能性も捨てきれない。ただいま調査中である。

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