黒瀬 珂瀾


小さめにきざんでおいてくれないか口を大きく開ける気はない

中澤系『uta 0001.txt』

 

随分と尊大な態度だ。口を大きく開けるのも億劫なのだという。小さめに刻んで、口当たりよく、柔らかくしてくれ。そうじゃないものを、わざわざ顎を動かしてまでして食べる気力などない。先進国の人間は、現代に至るにつれ細面になってきているそうだ。柔らかく、食べやすい食物に慣れ、力を込めて咀嚼することが少なくなったので、顎が退化したということらしい。まさに掲出歌も、文明の簡便さに慣れ切った、怠惰な食の現状を示している。

 

いや、むしろ掲出歌は「食」以外のあらゆる摂取について述べているのだろう。例えば「知」の摂取。読書文化に変化が迫られる昨今、インターネット空間には知識の断片がただよい、人はそれをしっかりと咀嚼することなく好き勝手に持ち出しては利用する。体系だった重厚な読書は敬遠され、簡単に解った気にさせてくれる手軽な新書が流行る。小さく刻まれた口当たりのいい情報の断片に囲まれる中で、私たちは「考える」ことを放棄してしまう。

 

いや、事態はさらに深刻かもしれない。掲出歌によれば、私たちは情報を小さく断片化する手間さえ惜しんで、人任せにする。そうやって尊大な態度で情報を享受し、肥え太る私たちは、結局その情報を小さく刻む張本人――メディアや資本や行政や――に飼いならされてゆくのだ。

 

  メリーゴーランドを止めるスイッチはどこですかそれともありませんか

 

中澤は副腎白質ジストロフィーのため、2009年に39歳で逝去。その歌は硬質で、人間を操る社会の「システム」を白日の下にさらけ出そうとする。口当たりのいい情報に肥えさせられる私たちは、いわば、遊園地のメリーゴーランドに乗せられ、無邪気に同じところをぐるぐるを回っているようなものだ。そして、その回転を止めるスイッチはない。賑やかで楽しげで、軽薄な遊戯空間を、私たちの人生は延々と回り続ける。