しよんぼりと霧に飢ゑをるえんとつのまるみなり日暮れはこころも猫なり

早野臺氣『海への會話』

 

煙突がしょんぼりしているように見えるのか。霧でかすむ上空に煙突のまるみが見える。「霧に餓ゑをる」というのは、もっと霧が欲しいと餓えているのか、霧の中に立ちつつ何かに餓えているのか。どっちでもいいと思う。この歌の大切な点は、霧の中の煙突の「まるみ」に気が付き、それがしょんぼりとして何かに餓えているように見えてしまった、作者の精神状態にあるからだ。

 

なぜそう言えるかは、下句の跳躍から読みとれる。ここでいきなり歌は、日暮れ時の自己の「こころ」の描写に移る。その時の心は「猫」なのだという。何か解るようで解らない、微妙な感覚だ。でも、霧、えんとつ、夕暮れ、猫、と重ねられると、ある一つの街の遠景が心に浮かんでくるような気もする。そして、歌の内容を具体的に説明しようとか、何らかの比喩を成立させようといった作為を完全に放棄していることがわかる。つまりこの一首は、作者の心を訪れた瞬間瞬間の感慨を、時系列に沿ってトレースして、再構成しようとした歌なのだ。そう思って読みなおすと、掲出歌にはどこか童心を宿したメルヒェンのような、懐かしい絵本のような優しさがあるように感じられる。それこそが早野の「詩人の心」が切り取った世界の風景なのだろう。

 

  風船に鼻あててゐる草のなか秋ふかしこころも破裂へちかき

  しら雲へ眼のゆくこころもあいすべしたのしい土曜を箱に腰かけ

 

一見、ナンセンスに思えるがこの二首、むしろ〈瞬間瞬間の意識のトレース〉の痕跡が掲出歌よりも解りやすい歌かもしれない。もちろんこの詠風に至った背景には、シュールレアリスムやモダニズムの洗礼があっただろうが、それだけとは言えまい。早野は昭和初期に「日本歌人」を中心に前川佐美雄や石川信夫らと共にいわゆる〈新興芸術派〉の一人として活躍し、戦後には吉原治良ら「具体美術協会」のメンバーと交流を重ねつつ活動を行ったという、独特の歩みをなした歌人である。その歩みは再検討されねばらなぬだろう。

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