黒瀬 珂瀾


花火咲き散りにしのちに隕ちてくる闇の重さに母と寄りそふ

有沢螢『ありすの杜へ』

 

夜空に大輪の花火が開く。二尺玉くらいになると、響きや火花の広がりも実に雄大なものだ。その分、火花が散り切った後の静寂が心にしみる。小さな花火は連続して打ち上げられるが、特に大きい玉は一発だけで打ち上げて印象を深めるように演出されることが多い。そんな、大玉の後の余韻が残る、音の鎮まりを描いた一首だろう。体中に響き渡った振動が、じいんと腹の底に残る。そして、華やかな輝きが舞い散った後の暗闇が、天上に広がる。

 

激しい動きの世界が急に静寂の世界に一転する。「散りにしのち」に「隕ちてくる」と、落下のイメージを重ねたのは、「隕ちてくる闇」の静けさを表現するためだろうか。そして、隕石の「隕」をわざわざあてたのは、〈静寂の闇〉を何かの塊のように感じたからだろう。闇の物質感、とでも言えばいいのか、隕石がおちてくるように闇がおちてくるのだ。だからこそ、その下に寄り添う「私」と「母」の孤立感が際立つ。闇に一瞬の不安を感じた私たちは、隕石の衝突を恐れるSF映画の登場人物のように孤立している、というのはやや読み過ぎだろうか。

 

  そつと忘れゆくもののひとつにむすめらのなまへもありて母の晩秋

  おもひでがふじつぼのごとこびりつく家財を捨てつトラック二台

  誰にでも会釈する母夏の朝「広報みなと」のテレビ画面に

 

歌集名の「ありすの杜」とは、高齢者施設の名前なのだそうだ。本歌集では老母の介護、施設入居、実家の処分、そういった「母と私」を巡るなかでの人生の節目が詠われている。掲出歌の「闇の重さ」には、断ち切ることのできない「母と私」の関係の重さも宿っているかもしれない。その闇を見上げつつ、母子は永遠に寄り添っている。

 

 

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