黒瀬 珂瀾


まひるまのひかり食べかけのポテトチップスに贅肉のごとき影なせり

西村美佐子『猫の舌』

「食べかけのポテトチップス」とは、どんな状態だろう。少し齧った一枚のチップスだろうか。半分残っている袋入りチップスだろうか。普通、チップスは一口で食べてしまうから、あまり前者のようには思えない。しかしこの歌の場合、チップスがテーブルの上にひらりと置かれているような光景がふさわしいのじゃないか。となると、例えば、ボウルに盛られていたチップスをつまんでいて、数枚が底に残っているというのが、最もマッチするかもしれない。

そのチップスに影を落とさせるのは、「まひるまのひかり」。この「ひかり」が歌の主体であって、ポテトチップスに光明を投げかけ、影を生ませているという把握が面白い。まるで視界には「まひるまのひかり」が煌々と満ちあふれ、その底に薄いチップスがひらりと寝ているかのようだ。このイメージはまさに〈白い光〉の世界であり、単なる間食であるチップスに、清らかな聖性が生じている。しかしその下には、ほんのかすかな、小さな影が生まれる。作者の主観は、それを「贅肉」のようだと認識する。

贅肉とは、必要以上についた身体の肉、脂肪。見た目には美しくないし、健康上の問題も懸念される。小さな影を「贅肉」と見る作者の感性は、どこか潔癖である。普段から身体のシェイプアップに余念がないのかもしれない。しかしむしろ、余分なものがどうしても気になる、という強迫観念を感じさせもする。本体とは別のものであり、物質でもない「影」を、本体の一部である「贅肉」と受け止める感覚もまた、その延長上にある。「影」の無い空間を夢想するがゆえに、チップスのほんのわずかな影に一旦気がつくと、どうしようもなく気になる。そして実は、こんなオブセッションは、私たちの生活の中では、頻繁に起きているのだ。

  ふかぶかとせるゆふやみに失ひのしるしきざせる一枝の白

  複雑に工具の並ぶ倉庫の中しんとしてたしかな統一感はあり

  その時のつひに来たるとおもふまで垂れ下がりゐつ雲は頭上に

さりげない歌だが、いずれも、何かがやってきたことを感知している。その感知した瞬間を、歌の中に再構築してゆくこと。それは西村にとって、世界の複雑さ、豊かさを再確認してゆくことでもあり、自己という存在の不条理さを見つめることでもあるだろう。「贅肉のごとき影」をこの世界に見てしまう〈己〉は、己自身にとってこの上なく不可思議で、興味深い他者である。

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