流れよる雪のひとひら幸あるは少女のうすき手のひらにのる

秋山佐和子『半夏生』(2008年)

雪はいにしえより、美しいもの、はかないものの代表だった。長い冬を雪にとざされて過ごす地方の人にとってはまた違った印象だろうが、年に二、三度積もるか積もらないかの土地で暮らすものにとっては、一面の銀世界はいつも新鮮であり、積もりそうに思われた降りが、じきに雨に変わったり、あっけなく解けてしまったりすると、残念な気持ちになる。

少女が手のひらを差しのべたのは、降りはじめの雪なのか、朝戸をあけて外に出た場面か。風に流された雪の、そのなかのひとひらが少女の手のひらにふれた。手にふれた雪はたちまち解けて消えたことだろう。消えてゆく雪を、幸福のイメージでとらえたところにこの一首の新鮮さと美しさがある。幸ある、とは、偶然にえらばれて少女の手にふれたことを指しているのだろうが、そんなはかないことに幸福を見るのは、こころが疲れて寂しくしずんでいるからに違いない。

風向きが違えば、手のひらには別のひとひらがふれたことだろう。はかなく消えてゆくものとの一期一会のえにし、などという寓意は、しかし少し遠いところにおいて、なんでもない情景に注がれた作者のやさしい視線とかすかなこころの動きを味わいたい。

歌集に収められているのは、殆どが身近な人や歌人への挽歌である。この一首の置かれた連作にも、より挽歌の心情に寄り添った歌が含まれている。その導入部とも思える一首に、反って、作者のさびしいこころ底にあるあたたかなものが滲みだしているように思えた。

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