江戸 雪


父さんを忘れたと母が言ふときの父さんは空に咲くはなみづき

川野里子『太陽の壺』(2002年)

あたりまえのことだが、「父さんを忘れた」という母は「父さん」を忘れてなどいない。誰もが分かっていることなのに、なぜこんなにも哀しい場面なのだろう。
「父さん」と「母」は、わたくしの両親である。母親がそのつれあいのことを「父さん」と呼ぶ、そこにはわたくしという子がまぎれもなくいる。そうするとこの「父さんを忘れた」というセリフは独り言ではなく、わたくしに投げかけられたさびしさの悲痛な叫びとして、あるいは「忘れないでおこうね」という呼びかけとして、読者の胸にもふかくひびく。

死者。もう会えないひと。
聞きたかったこと、聞いてほしかったことがたくさんある。あの時、どうして気づかなかったのか。
しらずしらずのうちに空を見上げている。死者は空にいるといったのは誰だろう。ほんとうにそこにいるような気がする。
見上げた空には、ハナミズキの花が咲いている。
ハナミズキは、花びらのように見える4枚のハート形の苞葉は白かピンク。まことにぱっちりとしたかわいい姿である。