トウキョウノユキハナキムシぐちゃぐちゃに轢かれた青い雑誌を濡らす

加藤治郎『ニュー・エクリプス』(2003年)

雪はいにしえより、美しいもの、はかないものの代表だった。が、この一首には新しい雪の発見がある。はじめて読んだとき、これは自分自身が視た景色だと思った。

歌集には、同じように上句だけが片仮名で表記された歌がいくつかならぶ。その部分だけを多行詩として読めそうな気もするし、舞い落ちる雪片を表したヴィジュアル・ポエムのようでもあるが、ここでは片仮名の部分を、一緒にいる女性の言葉、或いは、主人公の内面的なつぶやき、と解釈しておく。路上の雪の水っぽさを、ナキムシ、と言ったのだろう。

都市の路上で、踏みしだかれた雪はしばしばシャーベット状になる。半ば解けたまま、車が通るたび湿った音をたてる水っぽい雪を、作者は東京にふさわしい風景として、そして、そのときの気分にふさわしい風景として見出したのだ。白いベールで世界を覆いつくす雪や、はかなく消えてゆく雪とは、そこに託される心情も自ずと違ってくる。なんともいえない、遣る瀬無い気分だ。風景の発見は、そこに託された心情の発見、或いは再発見でもある。

しかも、この一首で作者の思いがもっとも託されているのは、雪ではなく青い雑誌の方なのだ。少年ジャンプ、のような分厚い漫画誌を思い浮べた。少なくとも綺麗な女性誌などではない。水を吸って無様にふやけたところに、タイヤの跡なんかがついていたりする。なんとリアルで、寒寒とした景色なんだろう。

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