鳩時計鳴くを止(と)めしが鳩を闇に押しこめし如きこだはり残る

尾崎左永子『春雪ふたたび』(1996)

 

子供のころ、鳩時計に憧れていた時期があった。家族で量販店に出かける機会があると、こっそり時計売り場に足を運び、隅の方にかかっている2つの鳩時計のうち、お気に入りの方をじっと見つめる。木目に濃いニスを塗っただけのシンプルなもので、山小屋型の本体に、穏やかな目をした鹿の頭のレプリカと、鳩の出てくる小窓、そして時計の文字盤がはめ込まれていた。ずいぶん執着していたにもかかわらず、買ってほしいと頼んだ記憶はない。鳩時計はだいぶ高価だったし、うちに飾るには派手すぎるのでは、という恥じらいもあったような気がする。鳩時計はずっと売れ残っていたが、ほどなく量販店の方が閉店してしまい、その後、私の鳩時計欲も自然に薄れた。

 

鳩時計の鳩は、定時になると勢いよく飛び出してきて、朗らかに鳴く。楽しい仕掛けだが、静かに過ごしたい日など、多少煩わしく感じることもあるだろう。

語り手はあるとき何気なく、鳩の飛び出す仕掛けを止めた(最近の鳩時計にはON/OFFスイッチが付いているのだ)。しかし、いつまでも開かない小窓を見ていると、微かなこだわりのようなものを感じる。小窓の向こうの闇に押し込めてしまったのは、果たして何だったのか。

穿ちすぎかもしれないけれど、鳩は、語り手の中にある少女性、あるいは賑やかな日々の象徴とも思われる。だからこそ、自らの手で封印してしまった後になって、鳩の行く末が妙に気にかかってしまうのではないか。明晰な文体で書かれているが、どこか物寂しい歌である。

ただし、鳩は遠くに飛び去ってしまった訳ではない。小窓を隔てて、今でもすぐそこにいる。

 

  夕光の舗道動きゆくわが影が壁に当りていま立ちあがる

  鉄橋をわたる反響音にして微眠の内に距離測りをり

  にんじんの香がうるさくて生姜一片噛めばつらぬきゆくもののあり

 

視覚、聴覚、そして嗅覚・触覚の歌を引いてみた。歩いている時に長々と伸びる影、眠りながら耳にする音、八宝菜(ではないかもしれませんが)の、食材それぞれの香りや感触。普通の人ならぼんやりと捉えてしまいそうなところに、きちっとピントを合わせているところが魅力だと思う。

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