石川 美南


雨にも眼ありて深海にジャングルに降りし記憶のその眼ずぶ濡れ

小島なお『サリンジャーは死んでしまった』(2011)

 

雨にも眼がある。言われてみれば、そんな気もする。雨粒の一粒一粒が眼を持ち、転生を繰り返しながら世界中を眺めて回る、そんな大きな地球のサイクルを思い浮かべる。

ところが、「降りし記憶の」辺りから、なんだか変な気持ちになってくる。深海に降り注いだ記憶を持っているのは、雨だったか、それとも私の方だったか。剥き出しの眼差しで密林の獣たちを見つめていたのは?……「その眼ずぶ濡れ」という大胆な結句に至る頃には、私は雨とほとんど同化してしまっている。

もしかすると、作者は本当に、雨の中でこの歌を作ったのではないだろうか。視界を奪うほどのどしゃぶりに降られて全身ずぶ濡れになっているとき、「雨にも眼ありて」という奇妙なフレーズが、口をついて出てきたのではないか。そんな想像をしてみたくなるほど、この歌の「ずぶ濡れ」感にはリアリティがある。空想的でありながら、身体感覚に富んだ一首だ。

「あめ」に「め」があるという微かな言葉遊びに始まり、「深海にジャングルに」の字余りで一気に下の句へと流れ込む、勢いのある韻律も面白い。

 
  まいまいは古代楽器の姿して雨の音風の音からだを巡る
 

ちょっと印象の似ている歌だが、こちらはかたつむりの小さなからだの内側の世界を描いている。どちらか一方を選ぶならば、個人的には「その眼ずぶ濡れ」のダイナミックさをとるが、このささやかな味わいも捨てがたい。この歌の場合も、「雨の音風の音」というはみだし気味のリフレインや、「風の音」「からだ」の頭韻が効いている。

『サリンジャーは死んでしまった』から、好きな歌をもう何首か挙げておく。

 
  かぎりなき引力もちて膝下がベッドの外に垂れる明け方

  動脈と静脈きれいに区別され人体図あり夏の記憶に

  美術館の彫刻の裸婦のかたわらに友は眼鏡を忘れてきたり

  コピー機のなかのひかりが行き来するさまを見ている海を見る目で

 
「動脈と静脈」や「コピー機のなかのひかり」など、繊細な手つきの歌がある一方で、「かぎりなき引力」や「彫刻の裸婦」など、そこはかとないユーモアと骨の太さを感じさせる歌もちらほらあり、その振れ幅に惹かれる。