石川 美南


春愁が人のかたちをしてわれに会ひに来てもう六人目なり

田村元『北二十二条西七丁目』(2012)

 
基本的にこの欄では、できるだけ季節に合った歌を取り上げるように心がけている。ところが、最近出たばかりの『北二十二条西七丁目』を読み終え、付箋をつけた歌(=好きな歌)を確認したところ、ほとんどが春の歌だったのだ。たまに「夏」という文字が出てきたかと思えば、
 
  窓の外ばかりが夏になつてゐてわれは電話に出たりしてゐる

  デスクトップの赤き砂漠に向き合ひてひねもす夏の盛りを知らず
 
だったり。

という訳で、季節感は無視して春愁の歌。春になると情緒が不安定になるという人は結構多い。「われ」の元にも、次々に浮かない顔の人々が訪れる(あるいは、どの人の顔にも「春愁」を見てしまうのは、「われ」もまた春の愁いに取りつかれてしまっているせいかもしれない)。

「春愁を絵に描いたような人」ではなく「人のかたちをした春愁」と逆転させているところに機知があり、愁いをテーマにしている歌なのに、ちょっとくすりとさせられる。また、「もう六人目なり」という収め方も何となくユーモラスだ。

『北二十二条西七丁目』は田村元の第一歌集。歌集中には、
 
  春怒涛とどろく海へ迫り出せり半島のごときわれの〈過剰〉が
 
など、都市に生きる青年の過剰な自意識をテーマにした歌が多い。多いのだが、歌集全体の印象は重くも暑苦しくもない。
 
  海豹(あざらし)に包囲されたる灯台のごとく余寒をそびえてゐたし

  春雨に追はるるやうに同僚がほつろほつりと出社して来る

  サラリーマン向きではないと思ひをりみーんな思ひをり赤い月見て

  蓋のない記憶と思ふ 菜の花の瓶詰めにぽんと山の香がして
 
そびえる灯台は孤独そうだが、「海豹に包囲されたる」にはすっとぼけたユーモアが漂う。

日々追い立てられるようなサラリーマンの生活を歌う中に、「ほつりほつりと」「みーんな思ひをり」など、ふっと力の抜けたフレーズが挟み込まれていたり、春雨や月や山などの自然が織り込まれていたりする。そうしたバランス感覚が、良い意味で〈過剰でない〉、爽やかな印象に繋がっているのではないかと思う。