吉野 裕之


早春の風を踏みつつ来しなだり紅梅その他君の背も見ゆ

青井 史『青星の列』(2000年)

 

一冊の巻頭に置かれた一連「紅梅一枝」10首のなかの一首。『青星の列』は、青井史が60歳を迎える年に上梓した、4冊目の歌集である。

 

透明ななにかがあると入りし峡紅梅一木ひらきて立ちぬ

紅梅に出会ひし瞳ふりかへる言葉が褪せてゆく一瞬

梅林といへど群れてゐるでなしひと木ひと木の紅梅孤独

早春の風を踏みつつ来しなだり紅梅その他君の背も見ゆ

とりかへしのつかないことをして生きる生なり紅梅いま真つ盛り

いのち少し軽くなりきてまみえたる心よ紅梅一枝のあかさ

鬼婆になるのはをみなその日まで紅梅百ほど冬を越しゆく

われの知らぬ星を歩いて来たるもの梅の林を風となりゆく

咲ききりて笑顔となりし梅の木に近づいてゆく楽しきかなや

紅梅も白梅もよしひとりづつ生きて春の宴によりぬ

 

一連「紅梅一枝」全体を引いた。実景としての梅や人を描いたり、自身の心と対話したり、空想をしたり、多様な角度から詠まれた10首は、とても興味深い。

 

早春の風を踏みつつ来しなだり紅梅その他君の背も見ゆ

 

梅を訪ねて山峡を歩いてきた著者は、さわやかな早春の風のなかで、見事な紅梅に出会うことができたのだろう。「風を踏みつつ」が美しい。早春のなだりのさまが、鮮やかに立ち上がってくる。

下句がまた巧みだ。一連の主題である「紅梅」をまず提示し、続けざまに「その他」とすべてを括りながら、最後に主役である「君の背」を提示する。そして柔らかに、「~も見ゆ」と「君の背」を受ける。「紅梅/その他/君の/背も/見ゆ」。4-3・3-2-2のリズムも心地よい。

「君」とは誰なのだろう。一連には、「透明ななにか」とはなんだろう、「紅梅に出会ひし瞳」は誰の瞳だろう、「われの知らぬ星を歩いて来たるもの」とはなんだろう、といった、わからないことがいくつかある。わからないのはなんとなく悔しいが、逆に楽しくもある。ただ、いずれも青井にとって、大切なものや人なのだと思う。大切だからこそわからないようにしておく。青井のいたずら心なのかもしれない。

 

「かりうど」2006年冬号(2006年12月)の表紙には「終刊号」と記されていた。巻頭には、青井の「終刊」と題された短い文章があり、「この号で「かりうど」を終刊することにした。直接の理由は私の体調不良によるが、…」と書き出されている。

 

朝ごとに薄くなりゆく手のひらを見てゐる祈り過ぎたる手のひら

右肺はわが涙壷たつぷりと水をたたへて映されてゐる

すでに死者と見てゐるまなこ退院の人ら再会を言はず微笑す

病む者は真夜も病みつつひと夜さを病む音をたて耐へてゐるなり

 

「a sickroom」24首から引いた。そして、12月20日の朝、青井は亡くなった。