吉野 裕之


ボルト屋が来てボルトのことながながと喋りてゆけりボルトかなしも

千々和久幸『祭という場所』(1991年)

 

『祭という場所』という魅力的な名前をもった歌集が上梓された1991年は、たとえば、湾岸戦争、ソビエト連邦解体、あるいはバブル経済崩壊、新都庁舎完成といったキーワードで思い出される年だろう。雲仙普賢岳の大規模な火砕流、弘前での林檎の被害が甚大であったためりんご台風とも呼ばれる台風19号など、天災や天候などでも記憶に残る出来事が生じた年でもあった。時代が変わる、そんな年だったと思う。

 

「絶望も立志もないその日暮らしをどう歌い出したところで、文学的リアリティとはさいしょから無縁だ。ダルな感情を励ますように身を捩ると、掌の上にしばしば海市が見えた。あれはこの時代の運命と感受性に対する、せめてもの言い訳だった。」

 

千々和久幸は、そのあとがきにこうしたフレーズを置く。『祭という場所』は、著者40代半ばから50代前半の作品を収めた2冊目の歌集。十分な人生の経験を積んだ年齢での一冊。しかし、このフレーズは安定を求めようとする人のものではない。年齢に相応しい穏やかな物言いではあるが、若ければ荒々しい形を取ったであろう意志が見え隠れしている。

あとがきには、「編年体で構成できる(それは憧れであるが)ほど、作品が順直で均一であったわけではない。定型のリズムと融和しようとすれば類型化し、遠ざかろうとすれば観念の斑点が浮き出たのはそのせいだ」ともある。

時代が変わろうとしているとき、誰もどのように振舞えばよいのかを知らない。知らないけれど、自らを信じ、自らの意志を提示していく、それしかない。千々和は、謙虚にその意志を提示していく。

 

晴たれば用なき傘を用なさぬ槍の形に携え来たり

ガールフレンド 母 直参旗本 水道工事屋 師走休日にかかりし電話

さしあたり人を殺むるあてはなき髭を正午の鏡に撫でつ

返信を今日はなさんと思いしが朝より降りし雪を見ている

いつまでも受話器が鳴るをやりすごしあれは他人の物だと思う

 

その日暮らしの断面を、らしい断面に整える。機知といったらいいのだろうか。読者をにやりとさせる、あるいはふふんと思わせる、そんな仕掛けがなされた作品たち。定型のリズムとの距離の取り方として、千々和が選んだ方法なのだと思う。

 

ボルト屋が来てボルトのことながながと喋りてゆけりボルトかなしも

 

ボルトは誰でも知っている、ねじの一種だ。種類は多い。材質は、鋼、ステンレス、アルミ合金、チタン合金、樹脂などさまざま。形状もいろいろあって、用途によって使い分ける。

ボルト屋は専門家だからいろいろなことを知っている。だから、お客さんのためにいろいろ話したい。Aのボルトは云々、Bのボルトは云々、Cのボルトは云々。ボルト屋は、一所懸命ボルトのことを話す。でも、違うんだなあ、私が知りたいのは。まあ、一所懸命話しているから、聞いてあげようか。……。ああ、やっと帰ってくれたか。早く帰ってほしいと思ったわけじゃないけれど、ああいろいろ聞かされてもなあ。

そう、ずれてしまっているのだ。ボルト屋はこれを話したい。私はこれを知りたい。これとこれが一致しないのだ。間に立って、ボルトはたいへん。「ボルトかなしも」。

四句「喋りてゆけり」が一首を立たせている。喋っていったあとの時間。その空(くう)のありようが一首の主題である。

 

戦ぐこと忘れし駅の風撥ねて夕べ空っぽの電車通過す

照ると見えまた翳らいて冬の陽のしばらくは芝の上に留まる

サッカーをせぬ子が一人楡の木の下に屈みて雲を見ていき

猫族の猫語は知らず光載せし乳母車がわれを追い越し行けり

名簿より君の名前の消えたるに気付きしは夏の終りたる頃

 

一冊には、こうした抒情的な佳作も少なくない。

 

編集部より:千々和久幸歌集『祭という場所』が抄出されている『千々和久幸歌集』はこちら↓

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