シャボン玉の中へは/庭は這入ません/まはりをくるくる廻つてゐます

ジャン・コクトオ作、堀口大學訳『月下の一群』(1925年)

*「這入」に「はいれ」のルビ。改行を/で示した。

 

堀口大學は、1892年1月8日に生まれ、1981年の明日3月15日に死去した。

<シャボン玉の/中へは庭は/這入ません/まはりをくるくる/廻つてゐます>と、6・7・6・8・7音に切って三十四音。詩歌に興味のある人なら一度は目にしたことがあるだろうこの三十四音は、ジャン・コクトーの詩ということになっているが、フランス語の詩からヒントを得た堀口大學の歌、に限りなく近い。詩歌の翻訳というのは、ことに体系の異なる二言語間の翻訳は、ほとんど翻訳者の創作みたいなものだ。

コクトーの詩を読みたいなら、これを読まなけばならない。

La Bulle de Savon  Jean Cocteau

Dans la bulle de savon
le jardin n’entre pas.
Il glisse
autour.

 

当方のなけなしのフランス語知識をかき集めてわかるのは、そんじょそこらの翻訳者では冒頭にあげたような日本語をここから編み出せない、ということだ。「這入ません」と話しことばでやわらかくいい、庭がシャボン玉の「まはりをくるくる廻つていゐます」とかろやかに、ちょっと気取っていう。この一篇を、訳者は意図して短歌形式に仕立てただろう。そのはずだ。何となれば、堀口大學は与謝野晶子の愛弟子なのである。

 

関容子『日本の鶯 堀口大學聞書き』(2010年 岩波現代文庫)の中で、堀口大學はこう語る。「佐藤(引用者注 春夫)も僕も、新詩社でしばらくは短歌をつくっていたんだが、いくらつくってみても晶子先生の大天才という天井に頭をぶつけるだけで、その足元にも及ばない、という感じが深まるだけだったんだね」。聞き書きは、1978年の雑誌「短歌」(角川書店)に連載したものをまとめた一冊だ。短歌総合誌にこんな面白い読み物があったことを、そして堀口大學が与謝野晶子への敬愛を語りやまない人だったことを、三度目の書籍化にあたる岩波現代文庫版で私は知った。同書には、二冊の歌集をもつ大學の歌も紹介されている。

 

美しき古代ギリシャの夜を見よと裸体のひとは長椅子による  『パンの笛』(1919年)

*「裸体」に「はだか」のルビ

くつがへりたることなべて美しや瓶の薔薇もわがたをやめも  『男ごころ』(1929年)

 

明星の系譜を正しく継ぐ二首ではあるが、歌としては、シャボン玉の一首のほうがはるかにいい。作歌の経験を、あなたはものの見事に翻訳に生かしましたね。『月下の一群』で日本の詩歌に大きな影響を与えた大學先生に、そういってみたくなる。

西洋語と日本語を知りぬいた詩人は、こんなことばを残した。

「歌は三十一音という短いなかで何でも言えるし、それがまた言えるのが日本語ですよ。日本人はやはり歌つくらなくちゃ。こんな恰好のいい形式があるのだから」(『日本の鶯』)

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