バス停はもう水浸し来ないなら来なくてもいいから待っている

坂本歩実「花鋏のひと」(『立命短歌』4号:2017年)


(☜8月23日(水)「学生短歌会の歌 (4)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (5)

 

ひどく雨が降っているのだろうか、人を待つバス停の庇の下まで水が来ている。待ち人は来そうにない。来ないのであれば、来なくてもいい。けれども、この水浸しのバス停で待つ――

相手が来ないであろう理由は、雨のせいだけではないのかもしれない。同じように、雨を理由に帰ってもいい「私」が帰らない理由は他にあるのかもしれない。相手のことを強く想いつつ、その一方で、水浸しのバス停で待ち続けるという自らに苦を科す行為がどこか怖い。
 

連作「花鋏のひと」には、相手との想いのすれ違いが繰り返し描かれている。
 

お手紙をどうもありがとうあなたにも諦めない心あること寂しく
絵に花はなくとも赤い花鋏その人はやさしい人ですか

 

一首目。詳しい状況は分からないが、想いを寄せる相手にも諦められず想いを寄せる誰かがいる。それが伝わってくるような手紙を受け取ったということだろうか。自身の諦められない気持ちも、「あなた」のそれも寂しく、悔しく、どうにもならない。
 

二首目の「絵に花はなくとも赤い花鋏」は、ただ花鋏だけ描かれた絵を見た、という場面を想像した。おそらくは想いを寄せる相手から聞く、誰かのこと。その人が「やさしい人」であることを祈るような、あるいはそうでないことを願うような複雑な心情が浮かぶ。花ほどに目を引く赤い花鋏というするどい物に、想像するしかない「その人」を重ねる。
 

では、水浸しのバス停で待つ「私」は「やさしい人」だろうか。
 

――そのうち水は靴を濡らして、身体中を冷やしていくことだろう。
 
 

(☞次回、8月25日(金)「学生短歌会の歌 (6)」へと続く)