大滝和子『竹とヴィーナス』(2007年)
*「肌」に「はだえ」のルビ
夜がふけてきた。寝ようとした<わたし>が円卓を見ると、馬の肌のいろをしたパンが静かに置かれている、と歌はいう。このページではルビの表記ができないので、想像していただきたいのだが、原作は「肌」に「はだえ」とルビがふってある。ルビには、読み方を指定する働きと、視覚的にごちゃごちゃっとした感じを出すことによって一行の中でその部分を目立たせる働きがある。このルビ付きの「馬の肌」に、イメージ喚起力がある。馬の肌のようにつややかな焦げ茶色のパン。サラブレッドの姿が浮かぶ。円卓のパンを見た<わたし>が、もしもこの歌の後でパンを食べたとしたら、それは小腹が減ったからというより、美しいものと一つになりたいからだ。「馬の肌」は、そんな読みをさそう。「馬のはだえ」ではこういかない。
「円卓」はどこに置かれているのだろう。<わたし>の寝室か、リビングルームか、あるいは宿泊先のホテルの部屋か。場面はどこでも成立するし、どこでもいい。肝心なのは、「円卓」と「馬」から引きだされるイメージだ。初句から読みくだして「寝るまえの円卓にしてしずやかに」までは、ふつうの円卓を思うが、四句「馬の肌の」まで来たとたん、馬から騎士が引きだされ、騎士たちが囲んだ円卓が引きだされる。アーサー王伝説に出てくる円卓の騎士。この「円卓」は、騎士たちが会議をして去ったあとの円卓かもしれない。歌はにわかに中世の匂いをおびてくる。
というようにことばが伝える内容を考えてみたが、この歌はことばの意味より、むしろ母音の響きを楽しみたい作品だ。エ音、ウ音、オ音を多く使って、おだかやな韻律を作っている。「寝るまえの」のEUAEO、「円卓にして」のEAUIIE、「しずやかに」の IUAAI 、「馬の肌の」のUAOAAEO、「いろのパンあり」の IOOAAI。寝る前のしずけさにふさわしい響きだ。意味のことなど忘れ、ただ声に出して音読するだけで心地よい。もともと歌はそうやって楽しむものだったっけ、と思いだす。
大滝和子は馬が好きな歌人だ。作品世界の中で、馬は<わたし>が恋したり食べたりする対象として存在するようだ。『竹とヴィーナス』から馬の歌をあげる。
友情の西からのぼり恋人の東へしずむまぶしき馬よ
黒髪は旅しつづけて朝はやき滝にちかよる馬扇かな
黒馬と結ばれたくて夏滝に祈る者あり眼ひらきつつ
いずこにもあらぬところにひともとの柱立たしめ馬呼ぶ柱
ともに馬食みたるのちの散歩にてたまほこの道ゲノムを招く
碧空をこいねがいつつ飲むウォッカ汗血馬たる響き残せり