吉野 裕之


カーテンのむかうに見ゆる夕雲を位牌にも見せたくて夏の日

永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』(2000年)

 

おそらくレースのカーテン越しに、美しい夕雲が見えている。その夕雲を位牌にも見せたいのだという。マンションの一室だろうか。なんだか、高さがあるように思うのだ。高さがある部屋にいる〈私〉を思う。

 

職場など燃えてしまへと嗤ひつつある夜は見たり空飛ぶクジラ

ともかくも家の明かりを全部消す今日のつじつま合はなくてよし

熱とれぬままに見開くページにはつつみがまへといふ部首がある

靴といふ不思議なかたち並べ置く玄関がどの家にもあるか

病棟のいづこを巡り来しや汝が白衣の背中秋陽がにほふ

わが影をしたがへ冬の街に来ぬ 小さなヴァイオリンが欲しくて

意外にも全きかたちしておれば掌にもてあます豆腐一丁

 

こうした作品を収める『小さなヴァイオリンが欲しくて』は、永井陽子の7冊目の歌集で遺歌集。日常に置かれた身体がふっとつぶやいた、そんなことばたち。静かに、ゆっくりと、そして確かに届いてくることばたち。

日常は豊かだ。しかし、その豊かさをノイズと感じる身体もある。たった一丁の豆腐をもてあましてしまう掌。「全きかたち」を繊細に感受する身体は、それゆえ豆腐をもてあましてしまうのだ。

高さがある部屋にいる〈私〉、と書いた。それは誇りだろう。位牌は存在の証。カーテンは誇りを守る装置。

「5・4-3・5・5-2・3-4」のリズムが心地よい。543と音数を減らしながらはじまり、234と音数を増やしながら収束する。とくに「見せたくて」の句跨りが巧みだ。その他の作品も同様に、5・7・5・7・7といういわゆる定型が自在なリズムを形づくっている。

短歌は韻律。永井はその力によって、ノイズに向き合っている。