都築 直子


「お上んなさい」女の声を読むわれの右手は伸びる品川巻に

藤島秀憲『すずめ』(2013年)

*「上」に「あが」のルビ

 

生きるよろこびの一形態を描く歌だ。小説好きの人にいわせれば、この世の一番の幸せは、せんべいをぼりぼり齧りながら小説を読みふけることらしい。

小説の中で女が「お上がんなさい」という。活字を目で追う<わたし>には、その声がありありと聞こえる。そのように感じる。小説の世界に没入しているのだ。読みふけりながら<わたし>の右手は、品川巻せんべいに何度も伸びる。ああ至福のときよ。

 

「お上がんなさい」「女の声を読む」「品川巻」と、ことばが的確に選ばれている。「お上がんなさい」は、いかにも昔の小説に出てきそうな台詞だ。女は誰に向かっていっているのか。むろん、男だろう。男を誘っているのだ。さあ、どうなる。読者<わたし>の期待の高まりとともに、女の声が耳もとでひびく。おのずと「女の声を読む」ことになる。「品川巻」も工夫どころだ。歌を作る過程で、読書のつまみは生八つ橋などの甘味ではなく煎餅で行こうと決めるわけだが、かといって「塩煎餅」「揚煎餅」など「煎餅」を直に出してはつまらない。作者はことば探しの楽しみを味わっただろうか。それとも、脳味噌の引き出しからひょいとことばを取り出したのか。

 

一首の表情は、歌集の中に置いて読むとやや変わってくる。長年介護していた父を亡くした<わたし>は、一人暮らしとなった家を売りに出しつつ、仕事を探すがうまくいかない。そういう日々の歌だ。掲出歌の前には<朝に雨、われは出そびれうっそりと荷風の描きし女を招く>があり、手放しで読書の楽しみにふけっているわけではないようだ。また、「荷風」と「お上がんなさい」から、小説は『濹東綺譚』であることが、わかる人にはわかるだろう。おやこれは、冒頭近くのあの場面か。わからなくても歌の享受にはさしつかえないが、わかればばさらに楽しめる。

 

「誰もいないから、お上んなさい。」と『濹東綺譚』の中で女はいう。名台詞だ。男が女から聞きたい台詞ベストテンを決めるとしたら、トップ争い間違いなしの台詞だ。歌の中の<わたし>が夢見る台詞でもあるだろう。そういえば、小説の主人公は一人暮らしの中年男であり、歌の主人公と重なる。

 

『墨東奇譚』を素材にした短歌では、小池光『時のめぐりに』(2007年)の「荷風私鈔」が印象深い。小説の一節を詞書に引き、それを五句に仕立てた実験的な一連だ。たとえば、詞書「『檀那、そこまで入れてつてよ』といひさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。油の匂で結つたばかりと知られる大きな潰し島田…」には、こういう歌が置かれる。

 

傘の下に真つ白な首を突つ込み来 結つたばかりと知られる潰島田  小池光

*「来」に「く」、「潰島田」に「つぶし」のルビ

 

小説では、この出会いの場面のすぐ後に、「お上がんなさい」の場面が来る。雨の日の出来事であり、藤島の歌の<わたし>がこの小説を読むとき、<朝に雨、われは出そびれうっそりと荷風の描きし女を招く>と、雨が降っているのはそのためだ。ともあれ、藤島の作は、小池の一連への挨拶かもしれない、と勝手な想像を広げるのは読者の自由である。