昼のバス閑散として黒人の運転手軽やかに聖歌を歌ひ出づ

秋山佐和子『空に響る樹々』(1986年)

 

歌の表記は、現代短歌社から2013年に刊行された「第1歌集文庫」版に拠る。

黒人のバス運転手が、昼の車内で聖歌を歌いだすのだから、ここは日本ではない。どこか欧米の国、あるいはアフリカのキリスト教国か。クリスマス・シーズンなのだろう。この季節に路上で聖歌が歌われる場面を、映画などで見たことがある。もしも、歌の場所がアメリカのフロリダあたりだとしたら、十二月でもシャツ一枚の暖かさだろう。がらがらに空いたバス、のどかな青空。運転手だって、神への賛美を歌いたくなるはずだ。

 

というのが、一首だけを取りだして歌を読んだ場合。一方、歌集の中に置いて読むと、歌の様相はがらりと変わる。作者はこの歌を書いた期間、カナダ中西部マニトバ州ウィニペグ市に住んでいた。「カナダの風の香」という章の冒頭に置かれた小文によれば、ウィニペグは「小麦の産地、大平原、オーロラ、万単位の大小の湖沼……。冬はマイナス40度C、夏はプラス40度Cにもなる激しい自然環境」だという。マイナス40度である。すると、この歌のバスは、少なく見積もってもマイナス30度くらいの中を走っていることになる。それは一体どんな世界なのか。これまで私が経験した寒さは、零下5度が最高、というか最低であり、零下3~40度の世界は想像を絶する。バスの中で呑気に歌など歌えるのか。いや、違う。むしろバスの中は暖房が効いているのだろう。北海道と同じだ。北海道出身の友人に聞いた話だが、冬は雪に埋もれた家の中で薪ストーブを焚いてシャツ一枚だったという。歌の中の運転手はまさかシャツ一枚ではないだろうが、「軽やかに聖歌を歌」いだすくらいに車内は暖かいのだ――と読み手の想像はふくらむ。

 

一首は、旅の歌ではない。いわゆる「旅行詠」ではない。そこに暮らす日々に取材する、いわゆる「日常詠」だ。日本国外を舞台にした歌は、それだけでとかく「旅行詠」と分類されがちだが、短歌作者は世界のさまざまな場所に住んでいる。「旅行詠」「日常詠」「自然詠」などの分類は、小説を「ミステリー」「SF」「恋愛」などに分けるのと同様、あまり意味がないだろう。いずれにせよ、温暖な日本の風土を表現してきた短歌のことばが、零下40度の地の暮らしを表現するようになった、そのことに感慨をおぼえる。

 

ツンドラを見巡るバスの内窓にびつしりと張りつく花の氷紋

てらてらと朝の雪道凍りつき人の歩みはみな獣めく

たんぽぽの花野歩みしあなうらのふつか経てなほあたたかきかな

 

「カナダの風の香」に置かれたこれらの歌に接すると、寒さという未知の世界への扉をひらかれる思いがする。一首目の「ツンドラを見巡るバスの内窓」は、航空機の窓のような二重窓だろう。三首目の「ふつか経てなほあたたかき」に、厳冬の地に住む実感がこもる。感受したものを的確なことばに定着させる作者だ。

いまは日本に住む秋山佐和子が編集発行人をつとめる「玉ゆら」には、ウィニペグ在住会員の作品ページがあり、誌面をユニークなものにしている。

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