残照のなかにおよげり鉄塔のさきの四角の台にひとゐて

香川進『氷原』(1952年)

 

香川進は、1910年7月15日に生まれ、1998年10月13日に88歳で死去した。

「残照」は、日没後も空に残っている夕日の光だ。時間の推移でいうと、空が赤く染まるのが夕焼けや夕映えであり、その後に太陽が沈み、残照→黄昏・薄明→夕闇という順で、空の光量が減ってゆく。「黄昏」は人の顔を見分けられないくらいの暗さだが、「残照」はまだ空にほのかな赤が残る状態だ。「黄昏」や「夕焼け」に比べ、「残照」が短歌にあまり登場しないのは、文字面と響きがともに強いためだろう。「残」は「残酷」や「残骸」を思わせるし、濁音「ザン」は耳を打つ。作品に使う人は使うし、使わない人は使わない。好みの分かれることばだ。

 

<残照の/なかにおよげり/鉄塔の/さきの四角の/台にひとゐて>と、5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。「残照の」と初句にいきなりこの語を置いて、歌のトーンを決める。ロマンチックに行くぞ、という宣言だ。そうしておいて「残照のなかにおよげり」と、まず二句で切る。残照の空を背景に何かが泳いでいる。いったい何が? 鉄塔の先の四角い台にいる人が。「およげり」という終止形に、「ひとゐて」と、て止めを合わせるのは、定石通りだ。「ひと」は何人いるのか。一人か、二人以上なのか。どちらを思い描くかは、読み手にゆだねられる。読者に手わたされるこの自由は、単数か複数かを明示しなくてはものがいえない言語、例えば英語などでは味わえない部分だ。

 

「残照のなかにおよげり」の「およげり」が、歌の眼目である。「うごけり」でなく、「およげり」。ここに作者は勝負をかけた。斬新な把握である。鉄塔にいるのは、何かの作業をする人だろう。台のうえで手を振りあげたり、かがんだりして忙しく動きまわっている。地上からそれを見あげている語り手の<わたし>。「およぐ」という言葉は、ただ立って動くだけでない、さまざまな方向への動きを思わせる。ほのかに赤い夕空をバックにした、黒いシルエットのしなやかな動き。残照のなかで泳ぐ人。新しい人間像の提出だ。

 

『氷原』の中で、一首は「銀座Ⅱ」の章に置かれる。敗戦後まもない銀座だ。焼け跡から立ち直りつつある東京を想像すると、鉄塔はまた別の趣を持ちはじめる。だが、一首独立で読んでも、歌の享受に支障はない。風景はどの時代にも通じる普遍性をもつ。ことばによって景をあざやかに刻む術を知る作者だ。
「戦ひの日々」の章にある、次の歌もイメージ喚起力に富む。

 

うす淡くたちまち消えし虹をみつ馬が蹴飛ばす粉雪のなか

 

馬が蹴って舞い上がる粉雪に、虹が一瞬あらわれて消えた。描写の的確さ。美しいとか、儚いとか、無駄口をきかない。中国戦線の、いわば死の行軍中の歌であり、前後には、<一人また死にゆきしなり雪のうへにわづかに浅き窪みを残し><雪のうへにたかく積みたる薪のした火をくぐらせる屍焼かむ火>などが並ぶ。

 

さて、香川進には、石本隆一という弟子がいた。1972年、石本は師の『氷原』から名付けた歌誌「氷原」を創刊する。その「氷原」が、石本の死後三年を経てこの6月に474号をもって終刊した。

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