吉野 裕之


幼子は幼子をふと見返りぬふたつ家族のすれ違ふとき

古谷智子『ガリバーの庭』(2001年)

 

『ガリバーの庭』というタイトルは、船医ガリバーの不思議な旅行記から取られている。後記には、「物語の前半の人間意識の相対性や、後半の社会風刺などは現代社会に生きる私達にとっても今なお刺激的であり、つよく心を惹かれる。現代における『ガリバーの庭』とは、自己を相対化させてゆく場としての『都市空間』と取ることもできる。また、『庭』は従来の意味以外に、波の平らかな海や穏やかな天候をも意味する。こうした重層的な意味にひかれて集題とした」とある。

古谷智子の作品は、知的で明るい。それは、豊かな好奇心に支えられているのだろう。ふと、最初の歌集『神の痛みの神学のオブリガート』(1985年)の巻頭の一首「はつなつのひかり明るき蔵書館幼きものと書を選びゐる」を思い出す。「幼きもの」への視線が暖かい。「幼きもの」を学ばせるとともに、「幼きもの」から学ぼうとする、彼女の心のありようだと思う。「幼きもの」は、つまり彼女自身なのだ。

 

力ある夏のひかりにくつきりと輪郭をもつホームの人ら

写しくれし夫の影もうつりゐる濃き秋の陽のベルベデーレよ

眠りゐるは老い舅なれど先の世に産みしわが子の寝息のやうな

目のカルテぎつしりと棚に積まれある春の眼科はうるめるごとし

歩みくる幼子あはきくれなゐの臓器納めし小筺のごとし

 

『ガリバーの庭』から引いた。日常的な平易なことばを用いながら、定型性を獲得したときに詩に昇華する、そんな作品たち。彼女の意志が形づくる、鮮明な輪郭が心地いい。むろん、定型性とは57577という単なる音の集まりのことではない。

 

幼子は幼子をふと見返りぬふたつ家族のすれ違ふとき

 

両親に連れられ幼子が歩いている。同じように両親に連れられ歩いている幼子。すれ違うとき、一方の幼子が一方の幼子を振り返った。あるいは、お互いに振り返って見つめ合った。おそらく一瞬のことだ。その一瞬に立ち会った彼女。その彼女のことを思う。

彼女は、空間や時間に、ことがらの鮮明な輪郭を置く。それは彼女の身体が、空間や時間と親しい関係にあるということだろう。だから、こんななんでもないような、しかしとても素敵な一瞬を経験することができるのだ。

幼子は、彼女が世界と交通するキーワードでもある。