救ひなき裸木と雪の景果てし地点よりわれは歩みゆくべし

中城ふみ子『乳房喪失』(1954年)

 

中城ふみ子は、1922年11月25日に生まれ、1954年8月3日に31歳で死去した。

題名が苦手なので近づく気がしない歌集というのがある。長いあいだ私にとって、『みだれ髪』と『乳房喪失』がその双璧だった。媚態が苦手だ。全開の自己愛が苦手だ。作者は何を勘違いしているんだろう、と思うばかりで手がのびない。もしも「みだれ髪」が「桜月夜」という題名で、「乳房喪失」が「冬の花火」という題名だったら、秀歌少なしとしないこの二冊を、初学者の時期に迷いなく手にしていただろう。作者にとっても読者にとっても不幸なことだ。その後、二人の作者にはそれぞれ男性プロデューサーがいたことを知った。与謝野晶子には与謝野鉄幹、そして中城ふみ子には中井英夫。

 

上に掲げた一首について、中井英夫は『定本・中城ふみ子歌集』の跋文でこう書く。

以下引用

先の手紙にもあるように、歌集の題名を『乳房喪失』とすることだけは、中城にとって最後まで堪えがたく、抵抗があった。そもそもの応募原稿も原題が「冬の花火」だったのを、私が勝手に変えたので、それはその中の一首、
救ひなき裸木と雪のここにして乳房喪失のわが声とほる
から取ったが、題にまでされて喧伝されてみると、さすがにやりきれなくなったのか、歌集では、
救ひなき裸木と雪の景果てし地点よりわれは歩みゆくべし
と改稿されている。    「ゴモラの百二十日」『中井英夫短歌論集』(2001年 国文社)収録

引用ここまで

新人と編集者の力関係。この一節を読み、私のなかで中城ふみ子の評価は上がった。冷静な判断力の持ち主だったのだ。歌も、応募原稿版より改稿版の方が、はるかにいい。〈救ひなき/裸木と雪の/景果てし/地点よりわれは/歩みゆくべし〉と5・8・5・8・7音に切って、一首三十三音。下句「われは歩みゆくべし」の前向きな姿勢は、応募原稿版「乳房喪失のわが声とほる」の恨み節と対照的だ。ただし、「救ひなき」は自分を憐れむ表現であり、このことばを持ちこんだとたん歌は「救ひなき」ものとなってしまう。また、歌を置く「葬ひ花」二十一首は、切除した乳房を弔う一連であり、自己憐憫のトーンに貫かれる。

 

手術によって体の一部を失う。だがそれは、引き換えに命を得るための措置だろう。差し引きしてプラスの方が多いゆえの選択であるはずだ。先日、癌予防のための乳房切除を行った俳優アンジェリーナ・ジョリーを思う。中城の時代は乳房再建の技術がまだなかったにせよ、最優先事項が命であることに変わりはないだろう。なぜことさら負の面に焦点を当てて歌を作るのか。読者としてそこがよくわからない。歌がどれだけ作者の実人生に即しているのか、読み手は知るよしもないし、また知る必要もないが、歌に造形されるのは手術に「悲惨」を感じる〈わたし〉だ。〈手術室に消毒薬のにほひ強くわが上の悲惨はや紛れなし〉だという。あるいは「悲惨」は作者の実感だったかもしれない。希望より喪失感が勝ったのかもしれない。だがそれをわざわざ歌のことばに定着させ、作品として人前に差し出すのは、己の実感を噛みしめるのとはまた別の行動だ。

 

失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ

 

「救ひなき」の歌の次に置かれた、一連最後の作だ。歌集の中でも人口に膾炙した一首である。「失ひしわれの乳房」とダメ押し的に提出し、それに似た丘を飾るのは「枯れたる花」だという。歌集タイトルを辣腕編集者に変えられたことには同情するが、この自虐趣味にはやはり「やれやれ」とため息をつきたくなる。

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