鉱脈の輝き放つ星の下革ジャケットの匂い吸い込む

中西由起子『迦楼羅の嘴』(2010年)

 

歌は、「プラネタリウム」と題された一連に置かれる。プラネタリウムは水族館とならんで、短歌とりわけ青春歌のデート場面によく出て来る所だ。一歩まちがえば甘ったるい作品になってしまう素材の筆頭であり、取り扱いには注意を要する。

 

〈鉱脈の/輝き放つ/星の下/革ジャケットの/匂い吸い込む〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。鉱脈は、岩石の割れ目に入りこんでいる板状の鉱板だ。「鉱脈の輝き放つ星」と、プラネタリウムの天井に映しだされる銀河系を、鉱脈にたとえた。すんなり納得できる。取り立てて飛躍のある比喩ではない。だが、出そうとしてすぐ出てくる比喩でもない。

 

〈わたし〉はいま、プラネタリウムで満天の星をみあげている。初句から三句、「鉱脈の輝き放つ星の下」まで読んだ者は、無意識のうちに展開を予測する。たぶん下句では、音楽が聞こえるか、シートの背が倒れるか、隣席の恋人が登場する。それまで読んだプラネタリウムの歌からの類推だ。ところが、歌は思いがけない方向へころがっていく。「革ジャケットの匂い吸い込む」。〈わたし〉が着ているジャケットだ。自分で自分の服の匂いを吸うのであり、星の下には、恋人の影も形もない。

 

視覚から嗅覚への転換。いわれてみれば、革ジャケットには匂いがあるだろう。おろし立てだったら、なおさらだ。ふだんは気にならない匂いも、暗闇の中で椅子にもたれていれば、急に意識されてくるだろう。それは革の匂いであり、革に包まれた自分の匂いでもある。自分の匂い? いや、自分の匂いとしてはまだ違和感がある、と〈わたし〉は胸いっぱい革の匂いを吸いこみながら思う。でも、このジャケットに馴染んでいけば、いつか革の匂いも自分の一部になるかもしれない。星を仰ぎつつ、革の匂いを吸いこみつつ、〈わたし〉の思いは闇のなかを浮遊する。

 

プラネタリウムで星を見るとは、自分の服の匂いを吸いながら思いにふけることだった。新しいプラネタリウム像の発見だ。一首独立で見れば、屋外で星を仰ぐ歌とも読めるだろう。上句にも下句にも、一見なにげないようでいて、技の効いた表現、凡手には及ばぬものの捉え方がある。

短歌総合誌の作品に触れるとき、私はいつも作者名を隠して読むのだが、この一連はいいなと思って名前を見ると中西由起子と記されていることが多い。

 

新しき靴を履くためいまだしの躑躅の花へ若葉の杜へ  「短歌」2013年7月号

根津神社の空を巡りて鳴きながらわれの代りに飛ぶ都鳥

 

一首目、新しい靴で行ったことを、「新しき靴を履くため」といってみる。二首目、頭上に鳥が飛んでいることを、「われの代りに飛ぶ」といってみる。いわゆる「がんばった」表現からは遠いことばを使いつつ、歌を読む楽しさを与えてくれる作者だ。

 

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