切除されし妻の乳房は黒々と小さくなりて盤に置かれつ

清水房雄『一去集』(1963年)

*「盤」に「さら」のルビ

 

インパクトある一首だ。「切除されし妻の乳房」と端的に入り、「黒々と小さくなりて」と冷静に描写し、「盤に置かれつ」と簡潔に収める。「置かれつ」の後に見えない「。」が打たれている印象だ。置かれつ。ピリオド。報告終わり。

 

〈切除されし/妻の乳房は/黒々と/小さくなりて/盤に置かれつ〉と6・7・5・7・7音に切って、一首三十二音。歌意は明瞭だ。読んで字のごとくであり、語るべきことが、語るべきことばで、過不足なく語られている。つけ加える一字一句なく、取り除く一字一句ない。即物的な描写のすがすがしさ。

 

歌は、「妻手術 二十首」と題された一連にあり、実人生の出来事に取材したようだ。生々しい肉塊を、よく素材にしたなと思う。気の弱い男性だったら、妻の手術には付き添っても「切除されし妻の乳房」は直視できないだろう。見たとしても、後日それをじっくり思いだしつつ歌に仕立て、歌集に入れて発表することなどできないはずだ。

 

また、自分のものでない「切除されし」「乳房」をよく詠ったな、とも思う。同じ身体のパーツでも、「盲腸」や「胃袋」とは違う。心理的要素が深く関わってくるパーツだ。女性作者が自分の「切除されし」「乳房」を詠うのは、読者として納得できる。だが、作者にとって妻は他人だ。他者だ。自分ではない。自分のものではない。にもかかわらず、踏みこんで歌に仕立てた。表現者の業を感じる。むろん、二十首中に病巣を接写した歌があった方が、作品として格段に力をもつ。一首独立としても読み手を引き付ける。しかし、もしも私が「妻」だったら、切除された乳房を書かれることは拒否しただろう。いや、そもそも自分が歌の題材になること自体、断ったかもしれない。
表現者と、被表現者との関係を思うのである。

 

清水房雄の第一歌集『一去集』は、亡き妻に捧げた一冊だ。渡辺弘一郎という本名をもつ作者は、巻末に「渡辺ひで子年譜」を置く。詳細極まる年譜であり、一例をひけば、ひで子出生時の父母それぞれの、名前年齢職業、番地の数字までを含む本籍地、その父の名などを、一字一句もらさず記載する。これに続くのが、原稿用紙三十余枚の「後記」だ。作者は、こう書く。「妻は自らは作歌せず、又歌の良し悪しに就いても何も知らなかつた様であるが、私の作歌に対しては最大の理解者・同情者であつたと信ずる」。夫の側の言い分である。ものを書かない妻の側の言い分は、知る手立てがない。

 

作者はまた、こうも書く。「昭和三十七年七月一日、妻の死と共に私は死んだ。その少し前、妻の病気の絶望的である事を知つてから、私は歌をやめたつもりになつてゐた。妻の命をかすめ取つて来た一首一首である事を思ふとやりきれなくなつたのである」。以後半世紀が過ぎたいま、清水は短歌界の最長老として歌を作りつづけている。

 

表現者の業とは、表現者のエゴであるが、これがなければまともな作品をつくることはできない。腰が引けている者は、所詮趣味のお絵かきほどの描写で終わるだろう。被表現者、被表現物に対してエゴを通す図太さ。対象を突き放し、書くときは悪人になる心がけ。

 

作者の心がけのおかげで、読者は歌集を開いて次のような歌にふれることができるのである。

ことごとく貯金おろして株買へと病み病みて妻のいたく欲深し

汝のへに斯く寝るもあと幾日か泡立つ酸素の音にさめゐつ

吾が初めてあやつるカメラ死に近き妻を幾枚も幾枚も写しぬ

かすかにかすかになりゆく心音呼吸音涙ためつつ終るわが妻

震へつつ立てをりし膝ものびのびと下して今はしづまりにけり

小さくなりし一つ乳房に触れにけり命終りてなほあたたかし

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