前田康子


皮やぶれ真白く餅のふくるるを稚(わか)きこころに待ちをり吾れは

宮柊二『藤棚の下の小室』(1972)

 

 

歌人のなかでも、宮柊二は新年の歌をたくさん作っていてその中に秀歌が多くあるように思う。それも形式ばった寿ぎの歌ではなく、この歌のように生活の中からしみじみと詠まれたものが多い。「収納の草花の種子(しゅし)干しゆくに種子は年始の光まとへり」(『多く夜の歌』)も好きな歌である。

 

さて、この歌の上の句、皮が破れて中からぷうっと膨らんで焼けていく餅の様子がよく見えて来る。焼ける時のいい香りがしてきそうだ。幼い子のように焼けるのを待っている自分を詠みながら、幼少時代の正月というものを同時に思い出しているのであろうか。素直に「稚きこころ」と表現したところがいいと思う。

 

私が子供の頃は石油ストーブの上に餅を置いて焦げないように見張るのが役目だった。餅が焼けるのを待っているわずかな時間。その時間でもひとはあれこれいろいろな事を考えるものである。

 

毎年、同じような正月を繰り返しながら、少しずつ変わってゆく思いがある。大人になると、だんだんと清しい寂しさのようなものだけが胸に湧いてくる。白い餅という何かシンプルな日本的な食べ物が、そのような感情と、幼い日々を同時に連れてくるのかもしれない。

 

 

今年一年間、日々のクオリアを書かせていただきます。

お相手の一ノ関忠人さん、どうぞよろしくお願いいたします。

私は午年で年女ですが、ゆっくりマイペースで歩いていくと思います。