いちまいの紙切れのごとく置かれある日影をけさの幸と見ん

島田修二『行路』(2000)

 

『行路』は島田修二の最終歌集である。4年後の2004年修二は突然、帰らぬ人となった。

この一首の「いちまいの紙切れ」のようにある日影は誰もがよく目にする光景だろう。そこにいつもと変わらない平穏な時間、静けさをもたらしてくれる恩寵のようなものを作者は感じていると言える。

 

家と家のほそきあはひにはひりきて生物の如く日かげの動く

 

日影を詠んだ歌にはこんな一首もある。家と家の細い隙間の空間。何の影なのかはわからないが、区切られた細長い枠のなかにある影は動くとまるで生物のように見えてくると表す。面白く鋭い感覚だと思う。

 

あたらしき冬に入りたり草も木も(もと)なる色に帰りゆく冬

 

こういう季節の捉え方にも新しさをおぼえる。

春を季節の始まりのように私たちは考えているが、その前の冬こそが何もかも元の状態に戻る大切な時期なのかもしれない。「素なる色に帰りゆく」という表現にひかれる。

島田修二のこのような抒情的な歌の反対側には、激しく問いかけてくる作品が多くある。

 

 

足を病む汝が三輪車の影曳きてかく美しき落日に遭ふ         『花火と星』

穢れたるもの見ず死にし幸を言ふ人ありき戦死の兄に           『行路』

広島のかの翌日の赤光を見しわが傍に仏陀いましき            『行路』

障害を持つ息子へのさまざまな想い。また戦災で若くして亡くなった兄への哀悼。江田島海軍兵学校在学中に目撃した原子爆弾。多くの重いテーマを胸に持ちながら、生きることや時代を鋭く見つめる修二の眼差しが、残された歌から感じられる。島田の作品では冒頭のような静謐なものも、問題意識をもって作られた多くの歌にも、どちらもおおいに魅力がある。