前田 康子


散髪を終へたる頭持ち歩き何かひらめく寸前にあり

本阿弥秀雄『傘と鳥と』(2013)

 

感覚的によくわかる作品だ。散髪をして身も心もさっぱりとした。その涼しい頭で歩いていると、頭の中がすっきりとしていて何かいいアイデアでも閃く感じがしてくる。「寸前にあり」が面白い。閃きそうなのだけれど結局は閃かなかったのだろう。頭の外側の髪を切っただけなのに、頭の中まで変わるという人間の身体の面白さを再確認した。

 

作者は都会で出版人として多忙な日々を送っているが、その歌には生活を楽しんでいるような所やゆったりと季節のなかを歩いてる姿が見える。

 

盆栽を抱へ集まる老人は己が月日を持ち寄るごとし

電子辞書灯せば去年に調べける言葉顕る元日の午後

 

一首目、大切そうに自分の育てた盆栽を持ち寄る老人達。盆栽を見ながら工夫して育てた話などしているのだろう。その作品は自分が生きた月日のように重みがあり愛着がある。二首目は、電子辞書の歌。電源を入れたとき最後に検索した言葉が表示されるようになっている。自分の引いた言葉を忘れている時があるから、少し驚くことがある。この歌では元旦に辞書を引いているから年を越して顕れた去年の言葉に不思議な時間の感覚がある。

 

探鳥は鳥まかせなり枯籔の中ウィスキーそつと注ぎ合ふ

をみならが日傘をたたみ入りゆく信用金庫は祠のごとし

 

一首目は上の句が特にいい。必死になって鳥を探すのではなく、「鳥まかせ」だからたまたまそばに来た鳥を観察する。下句ではそんな探鳥仲間とゆったりウイスキーを飲んでいる様子がある。二首目は町の中の日常的な風景だが、神秘的な一首になっている。日傘をたたんで涼しい信用金庫に同じように入って行く女達。そこはだんだん秘密めいた祠のように見えてきた。

 

脱力感とまでは言わないが、本阿弥の歌には読むものの気持ちをゆるめてくれる所がある。同時に「信用金庫」の歌のように日常から一歩動けば非日常の世界へ行ける言葉の面白さも教えてくれるのだ。