母の顎に一本のひげが伸びてきぬをかしくもある老い極むるは

日高堯子『振り向く人』(2014)

 

老いた母の顎に、男性のようなひげがひょろりと生えているのを発見した時の歌。だんだんと性差などを越えて老いてゆく人間の姿をここに感じる。自分の親が老いて、死というものに近づいて行く姿をリアルに詠むのはとても難しいところがあるが、この下句には母の老いを包み込むような気持ちのおおらかさがある。作者自身、辛さや哀しみを越えて、だんだんと一人の人間が老いを極めるということにどこかおかしみを感じているのだ。

 

だんだんに顔がひとつになつてきし一生のをはりが近づいてきし

 

これも母のことを詠んでいるととった。「顔がひとつになつてきし」というのはどういうことを言っているのだろうか。表情が少なくなって、いつも同じような顔をしているともとれる。もしくは人生の極まりとしての顔へ、ひとの顔が集約されるようにも感じる。上の句に深い哲学的なものを感じる。

 

きしきしといのちの透ける音がするある日の父は水仙より弱し

わが貼りしバンドエイド腕につけしまま父はこの世を()れゆきにけり

 

一首目は、だんだんと弱まって、生きて行く力が薄れていくように見える父。「透ける」には儚さもあるが透明感もある。老いていくことにより煩悩や欲なども薄れて清らかになっていく父を感じている。香りよい水仙の花は春を告げているが、その小さな花よりある日は弱く倒れそうに父が作者の眼に映っている。二首目はその父が亡くなったときの歌。腕に貼ってあげたバンドエイドは生きていた時に触れ合った証である。バンドエイドはそのまま腕に残り、父の肉体はこの世から去ろうとしている。哀しい歌だが、最後までしっかりとあった父と子の絆を感じる。

 

光くぐり抜けきし蝶の目の大きさ。美しい村を見てきたやうに

しやくなげの濃きももいろの花の(れん)くぐれば時のないやうな夜

 

このような美意識の高い歌もある。一首目、蝶の目をズームアップして表している。あの黒い目が何を見ながら飛んできたのかは誰にもわからない。「美しい村」という幻想的な発想が歌を果てしなく広げている。二首目は夜の中に咲くシャクナゲ。そこをくぐって時が止まったような夜を、さらに「時がないやうな」と表す。いつまでも無音の余韻が残る一首だ。

 

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