一ノ関忠人


さ夜ふくる窓の燈つくづくとかげもしづけし我もしづけし

光厳院『光厳院御集』(岩佐美代子『光厳院御集全釈』2000年)

*燈に「ともしび」のルビ。

 

光厳院(1313~1364年)は、北朝初代天皇(在位1331~1333年)、南北朝時代の混乱した権力の推移変転にもてあそばれるような生涯を送る。一時は南朝方に山中(賀名生)幽居を強いられ、その折出家、また50歳を迎えた1362年秋には死者の慰霊のために「山林斗藪の旅」に出る。晩年は、京都北方山国の常照皇寺に過ごし、陵もその地にある。

京極派和歌を愛してやまぬ岩佐美代子の評価を参考にしよう。「光厳院は生れながらにして、この国の天皇たるべく教育され、不幸にも土崩瓦解の乱世の中に立って、誠実にその天命を果さんとし、類い稀な流離と幽囚を味わい、最後に民の不幸を我が責任として戦死者の慰霊贖罪を果した上、身分も愛憎もすべてを捨て去って、山寺の一老僧として生涯を閉じた。我が国歴代中、自らの地位に対して明白に責任を取る事を、身をもって実現した天皇は、光厳院一人であった」(『光厳院御集全釈』解説)。岩佐ならではの思い入れ愛情たっぷりな評価ではあるが、光厳院像は見えてくるだろう。

京極派和歌は勅撰集においては『玉葉集』(1312年)と『風雅集』(1348年)に代表されるが、『風雅集』はこの光厳院の撰である。そして光厳院も、京極派和歌の代表的歌人であった。

 

浅緑みじかき草の色ぬれてふるとしもなき庭の春雨

長閑なるむつきの今日の雨のおとに春の心ぞ深くなりぬる

秋の夜をさびしきものと何か思ふ水鶏こゑするよひの月影

しづむ日のよわき光はかべにきえて庭すさまじき秋風の暮

霜のおくねぐらの梢さむからしそともの森に夜がらすの鳴く

 

『光厳院御集』四季部の歌である。自然との親愛は京極派のものである。「作者自身、好むところに従って自由に、自ら楽しんで編み上げた、甚だ個性的な自選集」(同解説)という。とりわけ冬部に新奇、大胆な発想がみられるというが、この夜がらすの鳴く歌は、まさにそれだ。

そして、もっとも注目されるのが「燈」連作である。

連作といっても6首、その冒頭に置かれているのが、今日の一首だ。他の5首をまず記す。

 

心とてよもにうつるよ何ぞこれたゞ此のむかふともし火のかげ

むかひなす心に物やあはれなるあはれにもあらじ燈のかげ

ふくる夜の燈のかげをおのづから物のあはれにむかひなしぬる

過ぎにし世いまゆくさきと思ひうつる心よいづらともし火の本

ともし火に我もむかはず燈もわれにむかはずおのがまにまに

 

連作という呼び方がふさわしいかどうか。ただ「燈」だけを対象に6首、こうした試みがそれまでにあったのかどうか。珍しいことは確かであり、この求心的な集注は、稀有な、そして乱世をみずから経験して禅の世界を学ぶ光厳院ならではということは間違いないだろう。

「我」と「燈」ということでは、蠟燭の炎に対峙しつづけた孤高の画家高島野十郎を思わせるところがあって、それも興味深い。

さて、その一首目だが、「かげもしづけし」「我もしづけし」の繰り返しは、連作最後の「ともし火に我もむかはず燈もわれにむかはず」に対応して首尾を成す。あきらかに連作の意図があることが分かる。

「かげ」は光。そして「燈」に対峙する「我」、この構図は「自我」の証明に見える、まさに哲学だ。さらに二、三首は「心」の存在論であり、次いで物のあわれに時間論、どれも深い哲学的な問いではないか。14世紀の日本の和歌の世界にこのような哲学的認識があることに、あらためて驚くが、これは光厳院一人のもので終わってしまったのだろうか。そう思うとこの哲学的問いと燈火に向き合う光厳院に私は深い孤独を感じずにはいられない。深い絶望とかすかな希望が、この6首のモチーフには潜んでいるが、それは光厳院その人の絶望であり希望であったのであろう。

『風雅集』の撰だけでも、日本の短歌(和歌)史上、たいへんな仕事を成し遂げた歌人である。その歌人により残された作である。より広く知られて欲しい。