嵯峨直樹『半地下』(2014)
冒頭の歌はちょっとした発見の歌である。果肉がそのまま入ったゼリーがよく店頭に盛られて売られている。その透きとおったゼリーにかためられて桃を切った果肉がいくつか入っている。ゼリーが透けているから、まるでそこに桃の欠片が浮いて存在しているような錯覚がうまく詠まれている。
日盛りのカーテンの部屋あかるんで手足8本散らかっている
夕影のみちる回廊 妹のお腹の中に浮かぶ白い手
こういった歌も読んでいて意識のどこかに触れてくる。一首目はゆったりとした休日の午後の感じがある。ごろごろとしている二人の人間が部屋にいてそれを「手足8本散らかっている」表しているのだろう。投げ出したような手足を表しつつ、それはまるで手足が身体から離れてばらばらに置かれているようでもある。二首目にも「手」という肉体の部分が出て来る。身籠った妹を少し離れた場所から見ているような場面と読んだ。小さな命がお腹に育っているのだが、それを「白い手」という部分だけで表すとちょっとした怖さがある。ひらひらと手招きをしているような妖しさがある。
足の指全部に力を入れながら坂登りくるサンダルのきみ
浴室の排水口に髪の毛を残して君は部屋を出てゆく
「きみ」を詠んだ歌も独特である。夏の日、素足にサンダルをはいて坂をのぼってくる君。作者はその「足の指」に注目している。普通の靴をはいていても常に足の指に力を入れて歩いているが、サンダルをはくことによりあらためて気付かされたのだ。足の指以外は涼やかな表情で「君」は歩いているのだろう。二首目も生活のある一場面だが、見ているところが独特である。泊ってシャワーを浴びて部屋を出て行った彼女だろう。排水口に長い髪が残されている。それが不快であるといった歌ではない。いろいろな会話をし、表情を見て楽しい時間を過ごした、そのあとに一人でいるときに排水口の髪を作者は見ている。セクシャルというより残酷な感じが、ここにかすかにあるように思う。
たくあんの薄い断面ひんやりと黄の色素に舌先染める
綿菓子のやすらかな張り部屋中を占めて明るい熱を吸いおり
ごく普通にある食べ物を詠んでいるが、かなり丁寧な描写、表現がここにある。「たくあん」の歌は「断面」や「色素」でかっちりと表しながら、「薄い」「ひんやり」「染める」などが体感的に伝わってくる。一方、「綿菓子」は「張り」とあるのがおもしろい。「ふくらみ」でなく「張り」とし、外へ広がる強い力がある。下句では逆に内側に「吸いおり」としている。感覚の鋭さが面白く出ている。