前田康子


今日は少し疲れてゐるのハロウィンの南瓜のやうに笑つて見せる

三澤吏佐子『シャドーグレー』(2014)

 

ハロウィンには、大きなかぼちゃを繰り抜き、目や口も空洞にあけて中にキャンドルを灯したりする。あれは一種の魔よけのようなものなのだろうか。笑っていても無気味に見える。一日を終えて疲れた作者は無理に笑顔を作ってみるが、それはハロウィンのかぼちゃの様な少し無気味な笑顔だ。現代人の疲労感がうまく出ている。

 

バスを待つわたくしの影灰色で胸の辺りが最も暗い

 

タイトルの『シャドーグレー』はこの歌からきているのだろうか。道にある自分の影をぼんやりと見つめているのだが、普通に見ていると全身同じ色の影だろう。だがなんとなくこの日は胸の辺りのの色が濃く見えた。鬱々とした気持ちがその影の色に表れた。

 

赤信号に停められてをり公園の鳩の群れより哀しくもあり

コンビニの光の及ぶぎりぎりに少年たちが肩を寄せ合ふ

 

小さな場面であるけれど、現代、よく見かけるシーンをぱっと切り取り一首にしている。おおげさに詠もうとしないところがいいと思う。一首目は横断歩道で群衆が待っているシーンととった。みんな同じ方向を向いて信号が変わるまで手持ち無沙汰に待っている。信号ひとつに仕切られて、じっと待っている人間達が、公園にいる鳩の群れよりも哀れに感じられるという。群衆のある姿というものが見えて来る。

また二首目ではコンビ二の辺りにたむろする若者を詠んでいるが、上句の描写が細やかだ。若者たちはコンビ二の光りが煌々と照る場所でも、あたらない場所でもなく、ぎりぎりの所にいるという。そのくらいの範囲が落ち着く場所なのかもしれない。

 

粗目雪の下よりのぞく自転車のぶつきら棒なハンドルの黒

擦りへりしゼブラゾーンのあざやかに引き直されて春の気配す

 

雪が深く積もりかたまっているそのすきまから自転車のハンドルだけが見えている。そのハンドルの様子を「ぶつきら棒な」と表した所、よく伝わってくる。白く柔らかな雪の世界の中に、突如として硬い黒いハンドルがにょきっと出ている。作者は北海道に在住。厳しい冬の世界も鮮やかに描いている。

二首目は待ちに待った春を感じている一首。色が薄まっていたゼブラゾーンの白線が引き直されて、道や町全体がくっきりと輝いてきた。「あざやかに」というところ、冬の間、閉じこもっていた気持ちが目覚めてくるような躍動感と重なってくる。こういった細部に春を感じている作者の感性にも豊かさを感じる。