こころみに石をひろひて投げて見むねぶるが如し春の川水

落合直文『萩之家歌集』

 上句の調子など、一読して石川啄木の歌を思い出す人がいるかもしれない。でも、作られたのはずっとこちらの歌の方が先である。直文の歌には、悠々とした大らかなところがあり、それは作品の美質である。「ねぶるが如し」の「ねぶる」という語の響きが、いかにも春の川水のゆったりとした重さを感じさせる。旧派と目された御歌所の歌人たちにも、こうしたほがらほがらとした気分を述べることに成功している佳品がある。それは、彼らが教養や、呼吸していた時代の空気を等しくしていたためではないかと思われる。

直文の歌は、一首の輪郭がどれもはっきりとしているという印象がある。もの思いや、内心の不安感といった漠然としたものを詠んだ歌でも、一首にまとまると曖昧なところはひとつもない。直文の歌は、たとえて言うなら楷書の歌である。そうして十全に完成している。

吾妹子の肩によりながら庭に出でてちりゆく花を今日見つるかな

病みふして明日だに知らぬ身にもなほ世のゆくすゑは思はるるかな

よむままに病もわれはわすれけり歌やこの身のいのちなるらむ

これほどの力量のある歌人が、長命を保ち得ずに病に倒れてしまったことは痛ましいが、近代短歌の系譜上の起点の一つとして直文は重要であり、また愛唱するに足る作品を数多く残している。