小池光『日々の思い出』(雁書館:1988年)
*表記は『現代短歌文庫35 続・小池光歌集』(砂子屋書房:2001年)に拠る
(☜2月13日(月)「ゲーム機の世代スイッチ (1)」より続く)
◆ ゲーム機の世代スイッチ (2)
詞書に「子供より電話あり」と書かれており、歌の並びから一月六日(火)の出来事と分かる。さて、子供たちがどこにいるかというと――
昭和六十二年元日(木)
一月一日母の実家へ帰りゆく二人の子等をとほくに見たり
どうやら妻の実家にいるようだ。
「ファミコン」こと任天堂の「ファミリーコンピュータ」が世に登場したのが昭和58年(1983年)。その後の爆発的なブームは誰もが知るところ。子供にとっては夢の、親にとっては悩みの種の「コンピュータ」である。いまにして思えば、主に子供が遊ぶであろうゲーム機に「ファミリーコンピュータ」という名を付けたのは、非常に戦略的であった。「コンピュータ」と呼ぶには、子供だましの一品であったかもしれない。しかし、その名称にだまされたのは親の方であった。
ファミコンはいつ買ってくれるのか、と問う子供には電話越しであるという、物理的かつ心理的な距離が必要だったのではないだろうか。電話越しであるがゆえ、当然「おもひつめたる顔」ではなく「おもひつめたる声」となるのだが、親の脳裏には子どもがどんな表情であるかが浮かんでいたに違いない。あまり深く考えずに「いつか買ってやろう」とでも子供に言ったことがあったのであろう。切実な様子の子供にどう回答したのかは分からないままにおしまいとなるのが、この一首の大きな魅力である。
「ファミコン」という言葉が、メーカーを問わずにあらゆるゲーム機を指していた時代が確かにあった。「ファミコンばかりやって!」という親の声に、これはファミコンじゃなくてどこどこの何々というゲーム機だ、と口ごたえしてさらに怒りを買う。口ごたえしていた側が親の世代になった今となっては、懐かしむべき時代である。
今では「ファミコン」という言葉を耳にすることはほとんどない。しかし、親と子の間には、時代を問わず常に「ファミコン」のような存在があり続けるのではないだろうか。
(☞次回、2月17日(金)「ゲーム機の世代スイッチ (3)」へと続く)