小野茂樹『羊雲離散』(白玉書房:1968年)
(☜6月12(月)「生きると死ぬ (4)」より続く)
◆ 生きると死ぬ (5)
街角のなかに行き交う人々を見ている。流れ続ける人の流れが、まるで連綿と続く人類の生のバトンリレーのように思えてくる――
「舗装厚き道」という表現が面白い。道路の舗装の厚さなど想像したこともなく、どこも同じであるかのように思える。例えば、車道と比べたときに歩道が高い位置にあったことから生まれた表現かもしれないが、いずれにせよ人々が歩く土台ががっしりとして崩れようがない感じを一首にもたらしている。分厚い舗装の上では、足音もこつりこつりと高く響きそうだ。
下の句の「豊かに生まれうまれ継ぎつつ」では、人々が生を重ねることが疑いもなく「豊か」なものとして捉えられており、すでに老成したような達観を見せている。
同じことを、同歌集の次の歌にも感じた。
町見おろすホームに噴きて水匂ふこれに渇きて死ぬ脆さあり
駅のホームに、小さな噴水や水飲み用の水道があったのだろうか。漂う水の匂いに、水がないということだけで死んでしまう、人という存在の脆さを強く思う。見おろす町の雑踏と、ホームに立つ人々のなかで、匂いだけで表現される水の鋭い印象が読後に残る。
(☞次回、6月16(金)「生きると死ぬ (6)」へと続く)