初谷むい「臨海、海だらけってことだよ」(『北大短歌』第五号:2017年)
(☜9月1日(金)「学生短歌会の歌 (8)」より続く)
学生短歌会の歌 (9)
季節は冬だろうか。きみと釣りに出かける。先をゆくその背中から空へぴょんと高く突き出された釣竿を眺めながら、港をふたりであるく。風の冷たさに思わず「寒い」と言うと、先を歩くきみが、そうだねと答える。私はそれに「ね」と返す――
一首は、こちらの歌が下敷きになっているのだろう。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ 俵万智『サラダ記念日』
寒いという言葉に対して、同じく寒いという返答があるという意味では、二首は同じかたちのように見えるが、細部が異なっている。
俵万智の歌では、主体の放つ「寒いね」は言葉どおり相手へと「話しかけ」たものである。しかし、初谷むいの歌では、主体がきみに言った言葉というよりも、独り言に近いだろう。きみはその声を耳に拾い、「そうだね」と返す。
俵万智の歌同様、同じ気持ちの者同士が言葉を交わすことで寒さが「あたたかさ」に転じてもいるし、そもそも何気ない独り言をきみが拾ってくれたことにも、あたたかさを感じているのではないだろうか。結句の最後の一語である「ね」という、私からきみへの返答には、強い親近感が込められている。
掲出歌と近しい構造を持つ歌が、連作にもう一首あった。
でかいアブ目で追ってたら「いるね」って言われていつか手をつなぎたい
大きな虻が飛んでいるのを気にして目で追っていたら、相手がそのことに気がついて「(虻が)いるね」と言ってくれた。そのことに親しみを感じて、手を繋ぎたいと思う。
掲出歌では「え、今寒いって言った?」という言葉が、「でかいアブ〜」の歌では「いま、アブを見ている?」という言葉がない。これらのまどろっこしい確認の言葉が「ない」ことが、私ときみの心の距離の近さを的確に表しているようだ。
(☞次回、9月8日(金)「学生短歌会の歌 (10)」へと続く)