氷売るこゑもいつしか聞きたえて巷ちまたのやなぎ秋風ぞ吹く

落合直文『萩之家歌集』(1906年・明治書院)

 

落合直文は和歌改良を目ざして、1893年(明治26)に「あさ香社」を創立し、近代短歌革新の一翼を担うことになる若い俊秀を多く集めた。与謝野鉄幹、服部躬治、金子薫園、尾上柴舟たちである。自身の作風は革新的ではなかったが、新しい時代の和歌の形を模索した。

 

現在、歌人は次々に歌集を編むが、直文のころ、生前に歌集を上梓することは一般的であったのでなく、亡くなった後に、弟子や親しい者、あるいは遺族によってまとめられることが多かった。『萩之家歌集』も、子息落合直幸による遺歌集である。読んでゆくと、作風が和歌から短歌へと移り変わる様子がよく納得される。

 

『現代短歌大事典』(三省堂)によれば、作風の変化は、国学的、国士的感慨の第1期、王朝文学世界を歌った第2期、子どもや生活を歌った第3期に分けられるという(藤岡武雄筆)。引用の歌は、「市立秋」の題詠である。第2期のものであるが、王朝風というにとどまらず、市井の秋の気配にもとづいているように思われる。暑い中、氷や風鈴や金魚を売り歩く声は、夏の風物となっていたのであったろう。その声が途絶える。聞こえていたものが聞こえなくなったことに気づく。秋が深まってゆく。

 

をさな子が手もとどくべく見ゆるかなあまりに藤のふさながくして

小瓶をがめをば机の上にのせたれどまだまだ長ししら藤の花

をとめらが泳ぎしあとの遠浅とほあさ浮環うきわのごとき月うかびいでぬ

 

藤の花をめでる美意識は、絵画においても文学においても造園おいても日本文化の中ではぐくまれてきた。和歌から短歌への直文の歌を、有名な正岡子規の【瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり】と並べ比べると近代短歌への推移が見えるようだ。