吾子わこ遠く置き来こし旅の母の日に母なき子らの歌ひくれし歌

美智子皇后『瀬音』(1997年・大東出版社)

 

『瀬音』刊行当時、公的性格の歌集ながら、思いの深さが話題となった記憶がある。あらためて読んでみると、子どもに対しての母性の在り方について考えさせられた。静かに語りかけてくる母の歌集である。掲出の歌には「熊本県慈愛園子供ホーム」という詞書がある。訪問した施設の子どもたちの歌声に迎えられたときのものだが、母としての私的な感情と、「母なき子ら」への公的感情の交錯が、一つのものとなって、奥深い陰影を感じさせる一首だ。

 

歌集に【家に待つ吾子わこみたりありて粉雪こゆき降るふるさとの国に帰りきたりぬ】と歌われている「みたり」は、【あづかれる宝にも似てあるときは吾子わこながらかひなおそれつついだく】【れしより三日みかを過ぐししみどり児にみづみづとして添ひきたるもの】【そのあした白樺の若芽黄緑の透くがに思ひ見つめてありき】(順番に、「浩宮誕生」「礼宮誕生」「紀宮誕生」に際しての歌)の「吾子」である。皇室という特別な境遇ではあるが、特別であるがゆえに、自他の区別をこえて子どもを受け容れ慈しむ母性が、一つの典型として歌われているのだと思われる。母性が歌集の基調をなしている。

 

まがなしく日を照りかへす点字紙の文字打たれつつ影をなしゆく

子供らの声きこえ来て広場なる噴水のほの高く立つ見ゆ

 

ふっくらと寛容な眼差しで、点字の打たれてゆく様や、噴水の穂先の向こうに、人の気配が温かく捉えられている。