欅木の黄葉のなかを一葉一葉丹念こめて散りゆく落葉

北沢郁子『満月』(2017年・不識書院)

 

黄葉した樹木が葉を散らすさまは、見て美しいだけではなく、色々な想念を呼び起こす。春の桜と同じように、古来、多くの歌を生んできた。散り尽くす前の華麗さ、命の儚さ、この世の無常などに加えて、すでに来春を期す思いもあるだろう。

 

掲出の歌は、命の終わりを主題としているが、どこかふっくらと満ちた気分があるように思う。「一葉一葉丹念こめて」のフレーズによる。巨視的に眺めれば、落葉と括られる現象を、個々の営みとして見ている。葉が一枚散るのも「丹念こめて」なのだという。もちろん、人生をそのように振り返る作者がいるからである。

 

よき便り開かむためにと求めたるドイツの鋏すでに古りたり

蜘蛛膜下出血にて急死せし人今あらば共に歩みゐむ日盛りの道

切られても伸びつづけたる竹煮草つひに絶えたる跡に来て見つ

 

『満月』という歌集名からイメージする、満ち足りた気分とは裏腹に、この歌集には、多くの欠落が歌われている。「古りたり」と戻らぬ時間を回想し、「今あらば」と亡き人を偲び、「絶えたる跡」と無に向き合う。そうであるけれども、読後には、ふくらみのある、生きて来た時間へのやわらかな肯定感が残る。たぶん、満月は、満ち欠けをあまた繰り返す過程を背後に含み持つ「満月」なのであろう。作者もまた、それぞれの局面を「丹念こめて」生きて来たという感慨にもとづくと思われる。次の巻頭歌をはじめとして、集中には、心に沁みる歌がたくさんある。

 

一口づつ飲めと言はれて枕元に置く水いのちの水かもしれず