9割はブドウ糖だと聞いたからラムネのように薬をたべた

栞撫「布団の上で」(「象」第五号:2017年)


(☜11月29日(水)「学生短歌会の歌 (27)」より続く)

 

学生短歌会の歌 (28)

 

「布団の上で」という連作題が想像させるように、寝具のある自室が舞台の作品として読んだ。
 

あの時の体育教師の逃げるなを反芻しては数えた甘皮
気にすることないカーテンと気にしなくなった服と寝たきりの自我

 

なかなか布団から出ることはできない。つまり、自室から外の世界へと進んではいけない状況なのだろう。
 

一首目の体育教師の「逃げるな」という言葉は、〈私〉を励ますためのものだったのか、それとも叱責するためのものだったのか。何度もこころに思い出すことはあっても物事は進展せず、爪の甘皮をいじるのみである。
 

二首目では、おそらくは着替える機会も少なくなった服装が、あまりにも日常的なものであり、常にそこにあるものだから気にもしないカーテンに近づいていくことに、実感がこもる。

「9割はブドウ糖」ということは、担当医から聞いたのか、それとも知人から聞いたのか。その成分のほとんどがブドウ糖だと聞かされた薬を、ひたすらぼりぼりと食べる。
 

何のための薬であり、ブドウ糖を除いた残りの1割に何が入っているかが重要じゃないのか――そう言いたくなるが、きっとそんなことは分かっているのだろう。
 

ラムネのようだと思ったから、ではなく、ほとんどがブドウ糖だから/ラムネと変わりないからと自分を騙すようにして薬を大量摂取する姿が浮かぶ。
 

薬のほとんどがブドウ糖、ということが、一日のほとんどを布団上で過ごす自らのありかたにうっすらと重なり、読みながら苦しくなった一首だ。
 
 

(☞次回、12月4日(月)「学生短歌会の歌 (29)」へと続く)