風筋にのりてわづかの雪が飛ぶいづへに降りてあまれる雪か

阿木津英『巌のちから』(2007年・短歌研究社)

 

12月に入って寒くなると、霜が降り、氷が張り、雪が降るときもある。この歌では、あたりに積雪の景色が広がっている。たくさん雪が降った翌日だろうか、何処から吹かれて来たのか、雪が風に飛んで見える。降雪の後の、しいんと静まったひととき、目が細やかな動きをとらえた。誰でも見かけたことのある風景だろう。しかし、なかなかこのようには歌えない。景色をこのように見る目を持てたらいいと思う。

 

雪は、風に身を任せてなんとも楽しそうだ。「舞う」ではなく「飛ぶ」というところに力感が籠るからだろう。「あまれる雪か」も、たっぷりと降った雪を思わせる。

 

歌集名は、「雪舟の絵を観る。」という詞書をもつ1首【地の芯のふかきを発し盛り上がるいはほのちから抑へかねつも】による。白と黒で描かれる水墨画の、ものの本質をとらえ、一息に描く簡明な力の強さに惹かれている。そういわれれば、掲出の歌も、一幅の水墨画のようである。細部を描きつつ巨視的に本質を掴もうとする。

 

暗黒にひかり差し入りたましひのき上げられむあはれそのとき

しづけさは座卓のしたのゆふぐれの猫のぬくもり右腿に添ふ

身に火薬巻きつけてゆく少女ゆく道をおもはざらめや照り返す日に

 

妹の臨終、自室の猫、中東のテロと主題は幅広い。かつてフェニミズムをもって歌壇に旋風を起こした作者だが、気力は衰えず、いずれの歌も、鍛えられた言葉の筋肉を見ているようだ。