雨戸のむかうは海であつたといふやうな朝は一度もなくて古き家

永井陽子『てまり唄』(砂子屋書房:1995年)


 

もともと海からは隔たれた場所に建っている家なのだろうけど、「家の外がある朝とつぜん海だったらやばいな」という高揚よりは「どうして家の外が海だったことがないんだろう」という飲み込めなさのほうを感じる。一度くらいは起きたら外が大海原になっていてもいい。その発想は、古い家ならではの「雨戸」に由来するところが大きいだろう。
雨戸は家と外を遮断する。たとえば窓やカーテンのように外との不完全な境界を引くものとは異なり、完全に遮断するからこそその内側にいると外への想像がかきたてられる。雨戸の閉まった夜の家の箱舟のような居心地を思うと、ちょっとくらい外の景色が変わっていてもおかしくない気がするどころか、ある朝起きたら家が海に浮いていた、というような事態くらい期待したくなる。わかる。
雨戸の「夜に完全な遮蔽をするもの」という性質から連想するのは人間にとっての瞼である。裏で「眠り」を詠っている歌だとすると、眠りというものの得体の知れなさ、同じ場所で同じ自分として目覚められるかわからない、というような不安も横たわっているようだ。
「雨戸を開ける」ことと「目覚めて自分の目を開く」こと、つまり家と身体の重なりは、雨戸=瞼という連想のほかに、「一度もなくて」というつよい言いきりにも表れる。「わたしは個人的には見たことがない」程度のニュアンスだろうか、と思いつつ、どうしても「この家にそのようなことは一度もなかった」というような断定を感じてしまう。「古き」という把握のとおりにこの家が住人よりも年長なのであれば、いや、そうでなくても「一日たりともなかった」と言いきれるのはおそらく家自身だけだ。ここの「なかった」ことへの確信には、住人としてだけではなく、家として発言している気配がある。
掲出歌においての「雨戸を開ける住人」と「家」とのあいだには、永井陽子の代表歌のひとつである〈うつむきてひとつの愛を告ぐるときそのレモンほどうすい気管支〉においてレモンと気管支のあいだに、あるいは〈冬瓜が次第に透明になりゆくを見てをれば次第に死にたくなりぬ〉において冬瓜と身体のあいだに瞬発的に起こっているのと同じ種類の感応が、これらの歌よりもゆったりとひそかに起こっているのではないか。「家」の記憶との接続によって人の一生の単位を超越したかのような一首は、地形が変わってあたりが実際に海になる未来の遥かさもわりと身近に引き寄せているようである。