染野太朗


おのづから井戸のくづるる 黙せよと言はるるまでもなく黙しきて

七戸雅人「temporary」(「羽根と根」7号、2018年)

 


 

前回に引きつづき七戸雅人の歌。「temporary」は10首からなる。

 

刎ねられて落つるときにもわが首は人の笑ひを聞きとがめむか
Go downstairs.特に他意はなくその方がのぼるより易ければ
窓のうちにビル風聴けり置き去りにすることもさるることも済ませて
あなたには快癒をあなたには治癒を 桃のわかさを見分くるやうに

 

一首目、自らが「人の笑ひ」をいちいち気にする、そこに意味を感じてしまう、苛立ってしまう、などといったことを意識し直している(つまり、その「笑ひ」を嘲笑と感じているということなのか、軽薄だったり意に沿わなかったりするものと思うことが多いのか、あるいは単に笑うときの表情や声の問題なのか)。自分のそういった傾向をどこかいまいましいものとしてとらえているような感じもある。
二首目、初句が英語になっていることよりも、わざわざ「特に他意はなく」と説明するところのほうが気になる。他意がある(生じてしまう)場合も知っているけれど、と俯瞰で言っている感じがある。「のぼるより容易いからだ」という吐露には倦怠や諦念も読み取れようが、説明する、というありようには態度として潔癖さも見えてくる。
三首目、「置き去りにすることもさるることも」というところに驚く。ふつうはどちらかの立場に身を固定してしまって、その固定されたところからものを言う(そこからしか言えない)のではないか。ところがこの歌は、自らにおける加害と被害(という語で説明するのはちょっと強すぎるのだけれど)の両方に目をやっている。置き去りにする、ということに対して「する/される」という対比を見い出す客観と、それをさらに俯瞰して眺める眼差しがある。しかもそれを「済ませて」と事務的な手続きのように言うところには、やはり諦念というか、寒々しさを感じる。
四首目、「快癒」と「治癒」の違いは、言われてみればわかるけれども、(病が)よくなる、という同じ土俵においてそれを対比すればなおさら、そのニュアンスには微差しか感じられないような気もする。にもかかわらずそれを明確に言い分けているというところには、僕はやはりまた、潔癖さと客観・俯瞰を感じてしまう。

 

対象の真の姿を見極めようという(または、はからずも見極めてしまう)眼差し、あるものとあるものを並べたときにそこにあるはずの差異をすべて見い出そうという(見い出してしまう)眼差し、といったものをこれらの歌に僕は読む。くりかえしになるが、そこにはやはり潔癖ということが感じられて、僕にはこの、歌そのものの示す態度のようなものが、たいへんに息苦しく感じられる(息苦しいことが良いとか悪いとかいう話ではない。むしろ僕はそこに惹かれている)。これらの一首の前では、自分のことがあらいざらい見透かされてしまう気がする。

 

今日の一首。「おのづから」「くづるる」「言はるる」あたりが重なることで生じる音の構成に、いかにも井戸が内側へと際限なく崩壊していくようすを僕は見てしまうのだが、それはそれとして、そのような音のなかにあって「黙」の音がやけに目立つ。ダのaと濁音が目立つのか。むしろ黙していない感じがする。本人は黙っているし、そして言われてもいないはずなのに、「黙せよ」と言うだれかの声がむしろ聞こえてくる。
「黙せよと言はるるまでもなく」には、やはり客観・俯瞰を感じる。それをみずからに告げては来ない何らかの他者を、あらかじめ想定しているのだ。そして諦念も感じる。
黙りに黙って、その上でまた井戸が崩れる。そこからなにも汲み上げられなくなる。沈黙はより強固になる。「黙せば」でなく「黙して」だから安易に因果関係はつけられないが、「おのづから」とあえて言う以上、黙す、ということがあるいは井戸が崩れ落ちる原因なのかもしれない。

 

どうせ黙るのだから、自分(あるいは相手)から何かを汲み上げる必要はない。なのに井戸が崩れるということがどこか悲しい。喪失、ということを思う。それは決定的な喪失なのに、それをまた黙って見ている。

 

それにしても、そもそもどうして黙っているのだろう。それが見えない。だから、「黙る」ということはそもそもいかなることなのか、読者として思考を広げたくなる。そこを広げなければ、黙るその理由も見えて来ない。

 

前回、七戸の歌について「結局わからなくなる」と言った。七戸の歌はいつまでも断片だ。もちろん、歌はそもそも何かの断片なのだろうけれど、七戸の歌の場合、人物や物語の全体とその歌との隔たりが、大きいような気がする。ただし、歌にあらわれたひとつの思考の輪郭はあまりにも濃い。一首のその瞬間の思考だけははっきりとそこにある。その点で「temporary」というタイトルは、あまりにも象徴的だと思う。

 

饒舌にしかも疲るることなしに海洋を越ゆ 四月、一羽で/七戸雅人